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2014年2月度史跡巡り・福岡城バーチャル時空散歩
2014年2月度史跡巡り
2月18日(火)
福岡城バーチャル時空散歩と官兵衛の菩提寺参拝
福岡城むかし探訪館集合 → 福岡城バーチャル時空散歩・鴻臚館跡地・展示館 →
散歩(万葉歌碑、潮見櫓、下の橋御門、大濠公園)→昼食
↓移動
[福岡市営地下鉄 大濠公園~千代県庁口] 崇福寺 → 石堂丸地蔵 → 選擇寺 → 万四朗神社
心配した雨こそ降らなかったものの、風が強く寒い一日でした。
福岡城むかし探訪館に集合し、タブレット端末を使って黒田官兵衛の時代にタイム
スリップ。午後は地下鉄で移動して、官兵衛の菩提寺に行きました。
福岡城むかし探訪館で、タブレット端末を装着しました。イヤホーンからは
高島市長の声が聞こえてきました。出発前に福岡城の摸型で説明がありました。
ガイドは福岡城市民の会の坂本さんです。
タブレット端末に400年前の福岡城三ノ丸の風景が写し出されました。
福岡城は慶長6年(1601年)築城に着工、7年後の慶長12年(1607年)に
竣工したのだそうです。東御門跡を通って二ノ丸跡へ向かいました。
歩きタブレット端末は危険です。
タブレット端末を見ながらぐるりと回ると、360度江戸時代の城の様子が見えます。
福岡城二ノ丸跡の梅園の梅の花は満開でした。
祈念櫓は本丸の北東隅に鬼門封じのために建立された二層の櫓です。
大正7年(1918年)に黒田家菩提寺の崇福寺が陸軍省から払い下げをうけて、
その末寺である八幡西区の大正寺の境内に観音堂として移築されました。そして
昭和58年(1983年)再び福岡城の現在の位置に再移築されたものだそうです。
鉄(くろがね)御門跡です。ここを登ると天守台です。
天守閣の礎石がありました。天守閣は存在していたに違いありません。
タブレット端末には、五層構造の立派な天守閣が写し出されています。
復元工事が行われ、天守閣が再生するのは何時のことなのでしょうか。
天守台展望台からは、福岡市内が一望できました。
タブレット端末には400年前の城下町が眼下に広がり、まさにタイムスリップ。殿さま気分を味わいました。
初代藩主は黒田長政です。官兵衛孝高(如水)は藩祖と呼ばれています。
天守台を降りて多聞櫓へ行き、松木坂御門跡から陸上競技場横を通り鴻臚館跡と、鴻臚館跡展示館を
見学しました。
鴻臚館は古代(飛鳥・奈良・平安)の迎賓館に相当する施設です。
ここは国指定史跡福岡城跡の中に鴻臚館跡という国指定史跡があるという全国でも珍しい二重の
国指定史跡です。
これでバーチャル時空散歩は終了です。福岡城市民の会の坂本さん有難うございました。
萬葉歌碑を見て、潮見櫓の横から橋御門を通って大濠公園へ向かいました。
昼食後、地下鉄で移動です。千代県庁口駅から少し歩いて崇福寺の山門へ、
ここで福岡市観光案内ボランティアの矢口さんと合流しました。
崇福寺は慶長6年(1601年)に黒田長政が太宰府にあった当寺を現在地に移して
黒田家の菩提寺としたのだそうです。臨済宗大徳寺派に属するお寺です。
境内の北西部にある藤水門をくぐると、広大な敷地の黒田家墓地があり、そこには藩祖黒田官兵衛(如水)や初代藩主の黒田長政をはじめ四代、六代、七代、九代の藩主の巨大な墓が並んでいました。
黒田官兵衛(如水)の墓
崇福寺の山門は、祈念櫓と同じく大正7年(1918年)に、陸軍省から払い下げられて、お寺の門としてここに移設された福岡城の本丸表御門なのです。今は「崇福寺山門」として県の文化財に指定されています。
この山門を、福岡城跡の本丸表御門跡へ再移設する話があるそうです。
移設後のお寺の新たな山門をどうするかと、移設の費用が問題のようです。 *再移設先の福岡城本丸表御門跡地
ここに「崇福寺の山門」が「本丸表御門」として戻ってくるという訳です。 崇福寺を出て石堂丸地蔵 から 濡衣塚参道をみて、選擇寺そして 万四朗神社に参拝しました。
これで本日の予定は無事終了しました。
福岡市観光案内ボランティアの矢口さん、ありがとうございました。
2月18日(火)
福岡城バーチャル時空散歩と官兵衛の菩提寺参拝
福岡城むかし探訪館集合 → 福岡城バーチャル時空散歩・鴻臚館跡地・展示館 →
散歩(万葉歌碑、潮見櫓、下の橋御門、大濠公園)→昼食
↓移動
[福岡市営地下鉄 大濠公園~千代県庁口] 崇福寺 → 石堂丸地蔵 → 選擇寺 → 万四朗神社
心配した雨こそ降らなかったものの、風が強く寒い一日でした。
福岡城むかし探訪館に集合し、タブレット端末を使って黒田官兵衛の時代にタイム
スリップ。午後は地下鉄で移動して、官兵衛の菩提寺に行きました。
福岡城むかし探訪館で、タブレット端末を装着しました。イヤホーンからは
高島市長の声が聞こえてきました。出発前に福岡城の摸型で説明がありました。
ガイドは福岡城市民の会の坂本さんです。
タブレット端末に400年前の福岡城三ノ丸の風景が写し出されました。
福岡城は慶長6年(1601年)築城に着工、7年後の慶長12年(1607年)に
竣工したのだそうです。東御門跡を通って二ノ丸跡へ向かいました。
歩きタブレット端末は危険です。
タブレット端末を見ながらぐるりと回ると、360度江戸時代の城の様子が見えます。
福岡城二ノ丸跡の梅園の梅の花は満開でした。
祈念櫓は本丸の北東隅に鬼門封じのために建立された二層の櫓です。
大正7年(1918年)に黒田家菩提寺の崇福寺が陸軍省から払い下げをうけて、
その末寺である八幡西区の大正寺の境内に観音堂として移築されました。そして
昭和58年(1983年)再び福岡城の現在の位置に再移築されたものだそうです。
鉄(くろがね)御門跡です。ここを登ると天守台です。
天守閣の礎石がありました。天守閣は存在していたに違いありません。
タブレット端末には、五層構造の立派な天守閣が写し出されています。
復元工事が行われ、天守閣が再生するのは何時のことなのでしょうか。
天守台展望台からは、福岡市内が一望できました。
タブレット端末には400年前の城下町が眼下に広がり、まさにタイムスリップ。殿さま気分を味わいました。
初代藩主は黒田長政です。官兵衛孝高(如水)は藩祖と呼ばれています。
天守台を降りて多聞櫓へ行き、松木坂御門跡から陸上競技場横を通り鴻臚館跡と、鴻臚館跡展示館を
見学しました。
鴻臚館は古代(飛鳥・奈良・平安)の迎賓館に相当する施設です。
ここは国指定史跡福岡城跡の中に鴻臚館跡という国指定史跡があるという全国でも珍しい二重の
国指定史跡です。
これでバーチャル時空散歩は終了です。福岡城市民の会の坂本さん有難うございました。
萬葉歌碑を見て、潮見櫓の横から橋御門を通って大濠公園へ向かいました。
昼食後、地下鉄で移動です。千代県庁口駅から少し歩いて崇福寺の山門へ、
ここで福岡市観光案内ボランティアの矢口さんと合流しました。
崇福寺は慶長6年(1601年)に黒田長政が太宰府にあった当寺を現在地に移して
黒田家の菩提寺としたのだそうです。臨済宗大徳寺派に属するお寺です。
境内の北西部にある藤水門をくぐると、広大な敷地の黒田家墓地があり、そこには藩祖黒田官兵衛(如水)や初代藩主の黒田長政をはじめ四代、六代、七代、九代の藩主の巨大な墓が並んでいました。
黒田官兵衛(如水)の墓
崇福寺の山門は、祈念櫓と同じく大正7年(1918年)に、陸軍省から払い下げられて、お寺の門としてここに移設された福岡城の本丸表御門なのです。今は「崇福寺山門」として県の文化財に指定されています。
この山門を、福岡城跡の本丸表御門跡へ再移設する話があるそうです。
移設後のお寺の新たな山門をどうするかと、移設の費用が問題のようです。
ここに「崇福寺の山門」が「本丸表御門」として戻ってくるという訳です。
これで本日の予定は無事終了しました。
福岡市観光案内ボランティアの矢口さん、ありがとうございました。
by Fukuoka-heguri
| 2014-02-18 22:18
| 史跡巡り