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史跡案内ボランティアガイド


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2015年3月史跡巡り

2015年3月度 史跡巡り 
3月12日(木)
京都郡 みやこ町の散策
参加者8名

史跡めぐり行程
出発 ⇒ みやこ町役場 ⇒ 橘塚古墳 ⇒ 綾塚古墳 ⇒ 昼食(花いちもんめ)⇒ 甲塚方墳
⇒ 豊前国分寺跡 ⇒ 豊前国府跡 ⇒ 解散
今回は、福岡県東部に広がる周防灘沿岸随一の穀倉地帯・京都平野の地理的特徴から、北東九州の重要拠点ならではの、独特の歴史を積み重ねてきた「みやこ町」を訪問しました。
やっと暖かい良い天気に恵まれ、2台の車でいつもより早めの8時半に戸切を出発しました。
みやこ町役場で本日の案内をお願いしていた井上学芸員と落ち合い、この地区の多様な史跡を案内していただきました。

橘塚古墳(国史跡)
最初の見学地は、黒田小学校の敷地内にある橘塚古墳です。次の綾塚古墳とともに北部九州を代表する巨石墳です。所在地の勝山地区は、前方後円墳4基の他、800基以上の方墳や円墳などが確認されているそうです。この地区に、6世紀末から7世紀初頭に集中して築造された歴史的背景に興味が湧きます。橘塚古墳は6世紀後半頃のもので、石室内部の規模や身長より大きな石材(花崗岩)などが特徴の横穴式石室のある、高さ4m、約40m四方位の方墳です。まわりには集濠が確認されています。前方後円墳がなくなっていき、代わりに大型の方墳・円墳が造られるのは奈良盆地でもみられる傾向(ピークは7世紀前半)だそうで、石の大きさで権力を誇示したものと考えられます。それにしても、町中にも家の庭やいたるところに巨石が並んでおり、まるで石の町のような感じがしました。

橘塚古墳
2015年3月史跡巡り_b0273309_13522022.jpg

玄室正面奥の巨石壁
2015年3月史跡巡り_b0273309_13543897.jpg


綾塚古墳(国史跡)
外観からはわからないが、すぐ近くの綾塚古墳も同様の花崗岩の巨石墳です。7世紀前半頃の横穴式石室(19m)を持つ、直径約40m、高さ7mの円墳で、3.5㎡の玄室に、周辺地区では唯一の大きな家型石棺が安置されています。石材は当地方の産ではないようです。その昔細川藩で、埋葬品を取り出そうと石棺の蓋を割ったところ祟りがあったためまた元の位置に戻されたという伝説も残り、現在はこの石棺をご神体とする「女帝神社」になっています。その意味は不明。手前には鳥居も付いており、石室入口の石を支える丸い柱は、古い鳥居の支柱でした。  昔から知られており、貝原益軒も訪れたことがあるそうです。

綾塚古墳を説明中の井上さん
2015年3月史跡巡り_b0273309_13562057.jpg

安置されている家型石棺
2015年3月史跡巡り_b0273309_1357934.jpg


~~~~~~~~~~本日の昼食~~~~~~~~~
花いちもんめ
国道201号線沿いのレストラン「花いちもんめ」でした。意外と立派な個室で、「鳥のから揚げ」メインで、「鯨の刺身」や「デザート」付きの「日替わり定食」(980円)
味はなかなかのものでした。
2015年3月史跡巡り_b0273309_13582762.jpg





甲塚方墳(町指定史跡)

勝山地区から豊津地区に移動して、午後一番も古墳です。甲塚方墳は、八景山南麓の標高40mの丘陵上に造られた、周溝と周堤を持つ6世紀後半から7世紀初めの方墳です。全体の規模は長さ72m幅63mに及ぶ九州最大級の規模ということです。石室は15m以上あり、玄室の広さは10畳ほどと広く、天井が4.6mと非常に高いのが特徴です。玄室奥壁の腰石は、3.5mを超える巨大さで10t位あると推定されます。ただただその大きさにびっくりです。裏山から切り出された花崗岩のようです。床は敷石が敷き詰められており、当初は石棺か木棺が置かれていたと思われます。
古墳の南側には、大宰府と宇佐八幡宮を結ぶ官道の跡が現在も道路として残っており、その位置の重要性が偲ばれます。

甲塚方墳
2015年3月史跡巡り_b0273309_13594087.jpg


予定していませんでしたが、この後ついでに近くの彦徳甲塚古墳(けんどくかぶとづかこふん)も見学しました。同時期の直径29mの円墳で、周囲に二重の周溝がめぐらされているのが珍しい。
こちらは県指定史跡になっています。

豊前国分寺跡
天平14年(741)聖武天皇が天下泰平と鎮護国家の祈願を込め建立を命じた寺院で、全国68箇所に建立された国分寺の一つです。正確な建立時期は不明とか。豊前国府に隣接し、西海道などを控える交通の要衝で、英彦山山系と周防灘に囲まれた風光明媚な「好き地」としての環境が、選ばれた要因と思われます。
もともとは、少し離れたところに七重塔が建っていたようですが、他の伽藍等もすべて天正年間の戦火により焼失し、後に真言宗寺院として再興が図られ、江戸時代に本格的に再建整備されました。現三重塔は、明治29年(1896)に建立されたもので、やっと往時を偲ばせるに足る復興が完了しました。高さ23.5mの塔は、県の有形文化財になっています。
当時の古風な鍵で開けて塔の内部も見せてもらいました。
長さ23mで60㎝四方の心柱は推定樹齢200年の杉材で、周囲の建造物とは接触しない耐震構造になっています

豊前国分寺跡 三重塔前で
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三重塔内部の十三仏と心柱
2015年3月史跡巡り_b0273309_1445767.jpg


豊前国府跡(県指定史跡)

豊前国府正殿跡
2015年3月史跡巡り_b0273309_1461267.jpg

奈良時代の豊前仲津郡に含まれる、みやこ町国作・惣社地区に置かれていました。国府は国の出先機関で現在の県庁のようなもので、全国60数か所、九州は大宰府を除き9ケ国(九州)に置かれ、肥前・筑後などとともに発掘調査で内容のある程度わかる数少ない国府跡の一つです。近くには国分寺、政庁の南300mに官道が通り、南西に国司が参詣した惣社八幡神社も隣接しています。
現在公園になっている広い野原や周りの風景からは、当時の国府としての賑わいは想像もつきませんが、それだけに歴史の変遷を感じさせられる国府跡でした。


以上で3月度の史跡巡りは終了です。
井上学芸員様ありがとうございました。
相当に詳しく専門的ながらもわかりやすい説明で、この地域の古代からの重要性がよくわかりました。
まだまだ貴重な見所も多いようですが、1日では無理でした。珍しい巨大な石材の古墳に、一同興奮冷めやらぬまま帰路につきました。

2015年3月史跡巡り_b0273309_15105045.jpg史跡巡りでは買い物も楽しみの一つ
国府跡隣接の地場産店「国府の郷」でお土産、「道の駅いとだ」で休憩と買い物で
今日の史跡巡りを締めました。
by Fukuoka-heguri | 2015-03-12 20:19 | 史跡巡り | Comments(0)