史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

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2017年5月度・史跡巡り

2017年5月度・史跡巡り
2017年5月16日(火)
8時30分~16時30分 曇り時々晴れ
糸島・国宝と史跡コース 
参加者 10名

史跡めぐり行程
9:00伊都国歴史博物館 ⇒ 10:15怡土城跡・高祖神社 ⇒
10:50平原遺跡・旧藤瀬家住居跡 ⇒ 11:20 三雲南小路遺跡・細石神社 ⇒
11:45志登支石墓群⇒ 11:55志登神社 ⇒ 12:20昼食「田園茶屋いとわ」⇒ 13:20志摩歴史資料館
⇒ 14:10新町遺跡展示館 ⇒ 14:45宇美八幡宮(糸島) ⇒ 15:55解散

曇りで時々晴れ間がのぞき、さわやかな皐月の風を頬に受ける、絶好の散策日和でした。
今回は、近場なのにこれまで企画がなかった、史跡の宝庫糸島市の散策です。久々に2桁の参加者を得て、車3台賑やかに戸切を出発しました。
身内ながら糸島のグループでも活躍中の阿部さんに案内してもらい、各施設内の説明はそれぞれの専門家や宮司さんにお願いしました。
「国宝と史跡」と銘打つコースは、実に多彩で見所も多く、たくさん勉強出来た有意義な史跡めぐりとなりました。


伊都国歴史博物館
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9時の開館前には到着し開館を待ちました。伊都国歴史博物館は、平原王墓の出土品を中心に、糸島(伊都国)の歴史を余すところなく展示しています。

ボランティアガイドの岡部さんの案内
b0273309_1738395.jpg糸島の古代からの歴史を辿った後、いよいよ王墓の国宝登場です。三雲南小路・井原鑓溝・平原の3つの王墓の出土品は圧巻です。鏡の数と大きさに驚きます。鏡の紋様の意味やガラスの勾玉、平原王墓の発掘模型などの説明に、感嘆しきりでした。最後は4階から見える、豊かな糸島平野のパノラマまで案内してもらいました。この後の行程の予備知識にもなるので、予定時間を30分も延ばして、熱のこもった説明をしていただきました。



博物館を出て、高祖神社の方へ移動しました。


怡土城跡(国指定史跡)
怡土城は、奈良時代(8世紀)に吉備真備により高祖山に築かれた古代の山城で、山麓には約2㎞の長大な土塁と堀、ところどころに5つの望楼を配置して守りを固めていました。鎌倉時代からは、この地を治めた原田氏の居城(高祖山城)として、永きにわたり糸島平野を睨んでいました。

怡土城跡
登り口の土塁の上に怡土城跡の碑が建っています。
b0273309_2021683.jpg土塁跡 
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同じ道を少し登ると、高祖神社です。

高祖神社(県指定文化財)
高祖神社は、877(元慶元)年以前の創建と伝えられ、中世には原田氏の保護を受けました。現在の3間社流造の本殿は、1662(寛文2)年に3代黒田光行が修理した記録の残る、県内有数の古い神社建築です。怡土郡の惣社となっていました。戦国時代に高祖山城主だった原田種親が伝えたとされる高祖神楽(4月と10月奉納)も有名です。

高祖神社
b0273309_208637.jpg3月に40年ぶりに葺き替えが終わったばかりの
真新しい檜皮葺きの本殿
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次の予定の神功皇后所縁の「染井の井戸」は、時間の都合で飛ばして平原遺跡へ直行しました。





平原遺跡(国指定史跡)

平原王墓(1号墓)

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平原遺跡の1号墓は、豪華な副葬品からして、弥生時代後期(約1800年前)の伊都国王(女性)の墓といわれています。周溝を巡らせた18m×14mの墳丘墓で、中央の割竹形木棺の墓壙から出土したのが、博物館で見てきた日本最大(径約46.5㎝)の内行花文鏡5枚を始めとする銅鏡40枚や、珍しいガラスの勾玉、メノウ管玉、鉄素環頭太刀などは、すべて国宝に指定されています。


旧藤瀬家住宅(市指定文化財)
 旧藤瀬家住居跡
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平原歴史公園内に、場違いな江戸時代(1737年建築)の住居跡が復元されています。旧中津藩の糸島神在村の庄屋を務めた藤瀬家の住宅を移築したもので、残った古文書から建築時期がわかったという九州最古級の民家建築です。
ここから5分ほど移動したところも王墓の遺跡です。



三雲南小路遺跡(市指定史跡)
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三雲南小路遺跡は、弥生時代中期後半(紀元前1世紀頃)の遺跡で、江戸時代末(1822年)に1号甕棺が発見され、その後1975年の発掘調査で新たに2号甕棺が発見され、銅鏡22面以上、ヒスイ製勾玉、ガラス製勾玉、管玉などが出土しています。1号甕棺からは銅鏡35面、銅剣・銅矛・銅戈、勾玉、壁、金銅製四葉座飾金具など豪華な副葬品が出土しており、弥生時代の墓としては規模も巨大で、伊都国の王墓と考えられています。2号墓は王妃と考えられます。これらの出土品も博物館で見てきたばかりです。

 1.2号甕棺墓跡
b0273309_2022495.jpg現地は、甕棺墓の位置がわかるだけの草むらでした。すぐ見渡せる範囲のところに、やはり江戸時代に発見された井原鑓溝遺跡があります。三雲南小路のすぐ後の頃の伊都国王の墓とみられますが、今では王墓の場所は特定できず「幻の王墓」と呼ばれています。




細石(さざれいし)神社
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三雲南小路遺跡から道路を挟んですぐ隣は、木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)と磐長姫命(イワナガヒメノミコト)を祭神とする、細石(さざれいし)神社があります。案内の阿部さんの話では、隣の王墓を守り遥拝する神社だったとのこと。以前は神田も多く大社でしたが、太閤検地で田畑を召し上げられ衰退したと伝えられています。その名前から「君が代」の起源がこの地域にあるという説もあるそうです。


志登支石墓群
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志登支石墓群は、古代には東西側から入り江が深く入り込み怡土と志摩半島をつなぐ細い台地であった付近で今は田圃の真ん中に、10基の支石墓が発見されています。弥生時代前期(約2500年前)から中期前半(2100年前)に造られたものです。支石墓は朝鮮半島に多く、半島のものとよく似た石鏃を副葬したものもありました。国内では長崎県と九州北部にしかなく、弥生文化の始まりを考える上で貴重な遺跡です。


志登神社
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昼食まで少し時間ができましたので、予定になかった近くの志登神社にも立ち寄りました。
志登神社は、祭神が豊玉姫命で、2014年の7月に不審火で全焼しましたが、1年位ですぐに再建されています。真新しい拝殿・本殿はかえって珍しい感じがしました。この神社の再生力に驚きです。



~~~~~~~~~ 本日の昼食 ~~~~~~~~~~~
             「田園茶屋 いとわ」
               町屋おばんざい定食 980円
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おばんざいとは京都の家庭料理を言いますが、有りあわせの素材でつくる簡単な料理のことだそうです。野菜が多くヘルシーで、味も申し分ありませんでした。
デザートにケーキが付いていたのでドリンクセットのコーヒー(200円)を追加しました。


お腹も満たして、午後の見学地の方へ戻ります。



志摩歴史資料館
b0273309_20411052.jpg糸島市役所志摩庁舎と同じ敷地内にある志摩歴史資料館は、志摩地域から出土した考古資料を展示しています。玄界灘に突き出た志摩地域は、古来大陸や半島との交易をはじめ、海を介した交流が活発で、遺物も海に関するものが多くなっています。


学芸員の河村さんの説明
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短い予定時間に合わせてポイントだけ選んで、それでも丁寧に解説していただきました。引津湾岸の御床松原遺跡から出た古代中国銭(貸泉・半両銭)や8世紀の古文書の戸籍、嘉永開潮止図(近世干拓の様子)、特にこれから行く新町遺跡の支石墓群については、事前の知識として興味深く聞きました。少しは延長しましたが、もう少しゆっくり見たい展示でした。





新町遺跡展示館
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展示館は無人ですが、実際の発掘遺跡の一部をそのまま展示しています。発掘された支石墓を主体とする墓域からは、全国でも珍しい弥生時代初期の埋葬人骨が出土しています。低願・低身長、抜歯痕があり縄文人の特徴が認められました。中には磨製石鏃が刺さったものもあったようで、この時期から戦闘があった痕跡を残しています。弥生文化は、渡来人だけの文化ではなく、縄文と弥生双方の要素の融合によって成立したと考えられる新しい見方を提供した貴重な遺跡で、墳墓群は国史跡に指定されています。
いろんな示唆を与える、支石墓の重要性を改めて認識しました。


20数分また山の方の川付というところに戻り、最後の見学地は宇美八幡宮です。


宇美八幡宮
武内宮司さんの説明
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宇美八幡宮本宮は、一般的な八幡宮の祭神ですが、上宮には神功皇后の夫仲哀天皇が祀られていると伝えられています。すらりと背の高い、第82代という武内宮司には、橿日(香椎?)宮で崩御された仲哀天皇が葬られたとされる神社の縁起、様々な古のお祭り、一と二の鳥居の間に三の鳥居が建てられた経緯など、たくさんの面白いお話を聞かせていただきました。武内宿祢に発するという宮司家の家系の話もありました。

本宮前全員で記念撮影
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宮司には、長い石段を登り本宮まで付き合って、絵馬や建物、神饌(神様に備える食事)の作り方なども細部まで説明していただきました。

御神木の樫の木

神社創建時からあり、樹齢千年以上はあると噂されています。
b0273309_20534848.jpg上宮石祠
本宮から参道を200mほど山中に入ると、仲哀天皇を祀るという上宮の石祠があります。ここら長嶽山一帯では古墳時代の14基の古墳群が見つかっています。当石祠は1号墳(前方後円墳)の上に建てられています。右横が2号墳です。
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藤棚と三の鳥居
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神社正面の参道脇の藤棚の花は見事ですが、連休明けまでは見られたそうです。         その藤棚の横で解散です。




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知名度は高いところばかりでしたが、知っているようで知らないことばかり。行って見て直接聞いて、新たに知ることは尽きることがありません。
「あと2回ぐらい糸島の史跡巡りを」「平群倶楽部に入って良かった」等の感想が聞かれた充実した良い史跡めぐりでした。         
ご案内の皆様にはそれぞれ、素晴らしい解説をありがとうございました。 
そして我らが阿部さん、皆さんお疲れ様でした。
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by Fukuoka-heguri | 2017-05-16 17:28 | 史跡巡り