史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

カテゴリ

定期ガイド
史跡巡り
日帰りバス研修
研修旅行
臨時ガイド
ジュニアプロジェクト
平群倶楽部について
会員の活動
イベント
その他

以前の記事

2017年 12月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 07月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 05月
2012年 03月
2011年 03月
2010年 09月

最新のコメント

メモ帳

検索

最新の記事

2017年10月度・定期ガイド
at 2017-10-10 09:27
2017年9月史跡巡り(多久)
at 2017-09-20 21:28
9月16日は中止
at 2017-09-18 17:49
2017年9月度・定期ガイド
at 2017-09-13 15:28
愛宕浜公民館での特別講座
at 2017-09-07 15:30

カテゴリ:研修旅行( 4 )

2016年 10月 平群 研修旅行

2016年 10月 平群 研修旅行

2016年 10月25日(火)8時00分~26日(水)18時05分  曇り一時雨
  ~~~ 壱岐島の史跡めぐり ~~~   参加者 7名
研修行程 
  [25日]: 博多港出発(8:00)⇒ 郷ノ浦港(9:10)⇒ 壱岐国博物館 ⇒ 原の辻ガイダンス
⇒ 原の辻遺跡 ⇒ 勝本城址 ⇒ 昼食勝本「よしもと」⇒ 聖母宮 ⇒ 猿岩 ⇒ 黒崎砲台跡
⇒ 壱岐の蔵酒造 ⇒ 岳の辻展望台 ⇒(15:35)宿泊 郷ノ浦町民宿「滝の上」
[26日]: 掛木古墳 ⇒ 水神社 ⇒ 百合畑古墳 ⇒ 笹塚古墳 ⇒ 双六古墳 ⇒ 鬼の窟屋古墳 ⇒ 国片主神社(へそ石)⇒ 月読神社 ⇒(追加)壱岐神社 ⇒ はらほげ地蔵
⇒ 安国寺 ⇒ 住吉神社 ⇒ 賽神社 ⇒ (13:40)直会 和風レストラン「海岸」
⇒ 郷ノ浦港(16:55)⇒ 博多港(18:05)(解散)


初日は朝から曇り空で、一時雨の予報もあり心配されましたが、降られたのは猿岩見学時の一回だけ。うまく雨の合間を縫って行動でき、2日目も帰るまで傘は不要で暑くもなく、良い旅日和でした。
7時半には博多港に集まり、久々の泊旅行に期待が高まります。ジェットフォイルで1時間余り、穏やかな海を渡ると郷ノ浦港には、2日間運転もお世話になる民宿「滝の上」のご主人がお待ちでした。早速マイクロバスに乗り込んで、最初の見学地へ向かいました。
端から端まで30分程度の狭い壱岐島の其処彼処に、縄文から中近世までの480か所以上(長崎県の13%)という、興味深い史跡が散りばめられています。まさに「日本の故郷」を感じさせる島です。予定の時間よりかなり早く行動できたので、当初の予定になかったところもたくさん回っていただきました。おかげで2日間同じ道を何度も通りながら、島の隅々まで歴史を堪能できました。
夜は民宿で宴会。刺身の盛り合わせやアワビの蒸し焼きサザエの刺身と壺焼き付きなど、非日常的な豪華な食事に舌鼓を打って懇親を深め、後は全員のカラオケで盛り上がりました。
壱岐が初めての人は二人だけでしたが、各所の案内ガイドさんもベテランばかりで楽しく、リピーターも改めて楽しめたようです。大変楽しく美味しく有意義な研修旅行でした。  

[ 25日]

一支国博物館

車で石田町の方面へ移動します。2010年開館の新しい市立「一支国博物館」は、見晴らしの良い丘の上に建ち、長崎県の埋蔵文化財センタも同居しています。縄文から近世までの壱岐の遺物を線で結んで、通史的に学習できる博物館となっています。ボランティアの会の田口さんの案内で、マリンブルーの館内を見学しました。この時間だけ外は雨だったようです。

一支国博物館
 b0273309_1694650.jpg 
人面石
ムンクの叫びに似た「人面石」はここしかなく、
先祖の霊を鎮める儀式に使用されたと考えられています。
b0273309_1610113.jpg  


 
原の辻ガイダンス

原の辻ガイダンス
原の辻ガイダンスでは、原の辻遺跡を歩く前に、
発掘の歴史や史跡の四季の風情を紹介しています。
b0273309_1617462.jpg
ジオラマで説明
壱岐研究会の伊佐藤さん(女性)の案内で、まず原の辻遺跡の概要をレクチャーしていただきました。
そのあと車で少し移動して、復元された遺跡公園を歩きます。近くの畑の中に、弥生時代の船着き場の跡のポールが立っていました。

b0273309_16181818.jpg



原の辻遺跡(国特別史跡)

原の辻遺跡は、一支国王都復元公園として整備されています。植栽も当時のものです。壱岐は3世紀末の魏志倭人伝に「一支国」として登場しており、原の辻は何重もの環濠に囲まれた環濠集落で、その王都と考えられています。日本列島だけでなく、半島や大陸の品々が多数出土し、交易や交流の中継地・拠点として栄えていました。

主祭殿
公園内には、住居や王の館、倉庫・物見櫓などが多数復元され、当時の暮らしぶりを感じることができます。
b0273309_16265894.jpg




勝本城址(城山公園)(国指定史跡)
     
勝本城跡石垣
b0273309_16312143.jpg

勝本港を見下ろす丘の上の勝本城は1591(天正19)年、豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて平戸藩主松浦鎮信に築城させた出城で、一ノ門と二の門の間の枡形と、左右の石垣が残っています。


~~~~~~~ 昼食 ~~~~~~~
 
勝本町「よしもと」
           刺身と天ぷらの昼定食
b0273309_1634886.jpg

昼食は定食でしたが実に味がよく、全部おいしくいただきました。
潮の香は、食欲増進に効果があります。


聖母宮(しょうもぐう)
b0273309_14541527.jpg

聖母宮は、奈良時代初期の創建とされる神功皇后を祀った神社で、勝本の総鎮守となっています。
旧社名は香椎宮といい、筑前香椎宮との関係が深いようです。ここから南へ下ります

猿岩
b0273309_14552927.jpg猿岩に着くと、急に雨風が強まり、傘もさせない程でした。サルの鼻息だったでしょうか。猿岩は、湯本湾の西につき題した黒崎半島の突端にある奇岩で、海蝕によって出来た高さ48mの玄武岩の岩塊です。
まさにゴリラ! 遠くを見て何思う?


黒崎砲台跡
b0273309_1513526.jpg

猿岩駐車場から1分のところに東洋一の黒崎砲台跡があります。廃艦となった戦艦「土佐」の主砲があったといわれます。射程距離は対馬との中間位までとか。昭和8年に島民を動員して築かれたそうですが、一度も使ったことはなく終戦となり、25年には解体されました。

(有)山の守酒造
途中、明治32年創業の山の守酒造場に立ち寄り、見学と試飲をしました。昔ながらの甕づくりの麦焼酎「山の守」を製造・販売しています。島内7つの蔵元の内の一つです。
お土産にする人も。

岳の辻展望台
b0273309_1551710.jpg
壱岐最高峰・岳の辻(213m)の展望台からは、壱岐全島と眼下に郷ノ浦の街や大島・長島・原島の3島が一望できます。天気がよければ対馬も見えるということです。



展望台と烽火台跡
b0273309_1563398.jpg

展望台のすぐ脇に烽火台の跡があります。元寇のためという説と白村江の戦い後に天智天皇が対唐・新羅の来襲を恐れて造ったという二説があります。外径4m(内径2m)のドーナツ状の烽火台と脇には煙突のあるかまど状の烽火台もあり、火と煙を昼夜で使い分けしたとも思われます。


   ~~~~~~~  宿泊 民宿「滝の上」 ~~~~~~~~~
豪華な刺身とアワビの夕食
b0273309_1510077.jpg
b0273309_15134427.jpg



[ 26日]

掛木古墳(国史跡)

b0273309_1524257.jpg

2日目の最初は掛木古墳です。
掛木古墳は、6世紀末頃の円墳で、当時は直径30mあったといわれる。県内唯一「くり抜き式家形石棺」が置かれている。内外・天井で使われた石は、驚くほど巨大です。

壱岐風土記の丘 古墳館
b0273309_15262659.jpg


国史跡「壱岐古墳群」(双六、対馬塚、兵瀬、笹塚、鬼の窟、掛木)に関する位置情報や古墳築造様子などを模型で詳しく紹介しています。裏手には18世紀の壱岐の百姓武家屋敷(オモヤ)を現地に移築し、まわりにインキョ、ホンマヤ、ウシノマヤなどを復元しています。

水神社
近くの水神社にも寄りました。
樹齢数百年の大銀杏がありました。
b0273309_1537423.jpg


百合畑古墳群
    百合畑古墳園
b0273309_1542647.jpg

6世紀末から7世紀初めの古墳群で、島内10基の前方後円墳のうち5基がここにあります。ちなみに壱岐島内には256基(全長崎県の61%)で、島の中央部亀石地区に91基が集中し、そのうち20基が百合畑古墳群にある古墳密集地帯です。首長クラスの一族係累の墓と思われます。


笹塚古墳(国史跡)
百合畑からも歩けますが、車で入口まで迂回しました。山の中にありました。円盤状の台座に直径約40mの円墳がのった二段築造の古墳で、亀の形の金銅製品初め162点の出土品は、国の重要文化財になっています。

双六古墳(国史跡)

b0273309_15462337.jpg

6世紀中頃の、全長91mを誇る県下最大の前方後円墳です。終末期の前方後円墳は概して前方部が大きく高いとか。大きな石材を積み上げたドーム型の天井に、当時の技術の高さが偲ばれる古墳です。


鬼の窟古墳
b0273309_1547384.jpg

6世紀後半から7世紀前半の直径45m、高さ13mの大型円墳で、前室・中質・玄室の三室と羨道からなる16.5mの石室は島内最長です。壱岐で横穴式石室古墳のことを鬼の窟というそうです。 
郡司 壱岐直の墓でしょうか?


国片主神社
国片主神社は、式内社で、祭神は少彦名命。古来国分天満宮といわれていました。神社の建つ地は、律令時代、郡司壱岐直氏の居館址でした。

 国片主神社

b0273309_1552431.jpg


鳥居くぐり

境内の3つの小さな鳥居を潜れれば、
それぞれ家内安全、安産、その他諸々の御利益? 
b0273309_15525243.jpgへそ石
すぐ隣には壱岐の中心?道標となった「へそ石」と「顎かけ石」があります。
b0273309_15551559.jpg


月読神社
b0273309_15585742.jpg
月読神社は、国片主神社から約5百m位のところです。御祭神は、中 月夜見尊、左 月弓尊、右 月讀尊、いずれもツキヨミ? 鎮座時期は不明ですが、「京都の松尾大社の月読神社が487(顕宗3)年に壱岐の県主の先祖忍見宿祢が壱岐から分霊した」とあるので、それ以前に存在していたことになり、かなり古い。
神社の始まりのような神社です。



壱岐神社(少弐資時の墓)
b0273309_161625.jpg

まだ時間も早く、民宿ご主人の計らいで、予定になかったところも案内していただきました。まず芦辺町に足を伸ばし壱岐神社を訪ねました。壱岐神社は、元寇弘安の役で戦死した少弐資時を祀った、昭和19年造営の壱岐で最も新しい神社です。神社内には、元寇の碇石が展示してありました。

元寇碇石
b0273309_1623634.jpg
少弐資時の墓
裏手の少弐公園には、資時の墓があります。
b0273309_163546.jpg



はらほげ地蔵

b0273309_1653058.jpg

清石浜の美しい海岸線を走り、八幡浦の海中(満潮時)に建つ六地蔵は、「はらほげ」は、腹部を丸くえぐられているので名付けられた。地獄・餓鬼・人間・天などの六道で群衆を苦しみから救うとされています。以前は近くの海中にあったものを港湾整備でこちらに移設したものだそうで、干潮時は全身が干上がります。


左京鼻
b0273309_1674952.jpg

左京鼻は、総延長約1㎞の海蝕崖で海中には細い柱を束ねたような奇岩が突き出ています。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱」とされています。

安国寺
b0273309_169391.jpg

1338年足利尊氏と直義は元弘の乱以来の戦死者の冥福を弔うために、従来あった海印寺を安国寺としました。室町時代の貴重な宝物を所蔵し。中でも高麗版大般若教は国の需要文化財です。御神木の杉が見事でした。ここまでが予定外でした。


住吉神社
b0273309_16112366.jpg

住吉三神をご祭神とする住吉神社は、社伝によると三韓征伐を成し遂げた神功皇后が帰途郷ノ浦触に上陸して祀ったという。(日本最古の住吉神社)その後神託により現在地に遷座。明治の社格では国幣中社(博多住吉は官幣小社、尾坂が大社)。鬱蒼とした大木が繁る境内は、静寂と荘厳に満ちています。境内の池からは銅鏡が見つかっているということです。


賽(さい)神社
b0273309_1621955.jpg昼食会場の隣にも神社がありました。
賽神社は、天照大神が天の岩戸に隠れたとき、裸で踊って岩戸を開けさせたというアメノウズメがご祭神です。女性神ということで拝殿内外に巨大な男性のシンボルが祀られ、安産・縁結び、夫婦和合などの祈願で有名とか。隣で見学のご老人が、これ見て自信を無くしたと大声で話していました。





待合室にて
b0273309_16255651.jpg これで全行程完了。港近くの和風レストラン「海岸」にて、遅い昼食を兼ねた直会で旅行の無事を祝しました。
帰りもほぼ満員の乗客でしたが、行きと同じく穏やかな海路を帰途につくことができました。



  ~~~~~~~~~~~~~
博多港に着いたときは停泊中の大型クルーズ客船の明かりがまぶしく感じるほどに暗くなっていました。
ターミナルであいさつの後解散しました。
盛りだくさんの史跡とマイクロバスの乗り降りで、皆さんお疲れ様でした。
幹事の西久保さん・内村さんには、もろもろの手配やバス内でのガイドまでお世話様でした。
[PR]
by Fukuoka-heguri | 2016-10-26 18:49 | 研修旅行

静岡研修旅行

2015年度 研修旅行
b0273309_14173557.jpg


平成27年10月27日~29日2泊3日
静岡県(静岡市、浜松市他)の史跡を巡りました。
参加者 8名


行程
(1日目)

9:20福岡空港第一ターミナル集合⇒10:00定刻離陸⇒11:20富士山静岡空港着⇒レンタカーで日本平PAにて昼食⇒14:00登呂遺跡・静岡市登呂博物館の見学⇒16:00三保の松原・次郎長生家⇒18:30静岡市内ホテル泊・居酒屋「菜八」で夕食と反省会

登呂遺跡
特別史跡登呂遺跡は、昭和18年に太平洋戦争に伴う軍需工場建設の際に発見され、戦後の調査により住居跡や倉庫跡のある居住域と水田跡、土器などの生活用具や木製の鍬などが確認され、弥生時代の稲作農耕集落遺跡であることがわかる。
その後の調査では住居跡5棟、掘立柱建物(倉庫)跡4棟、独立棟特柱付大型掘立柱建物(祭殿)跡が確認されている。


復元竪穴式住居

b0273309_1304568.jpg復元高床式倉庫
b0273309_1323262.jpg

矢野会長の火起 
b0273309_1373373.jpg松原(当日 三保の松原)b0273309_1362833.jpg


b0273309_13126100.png



清水次郎長生家
b0273309_13123265.jpg



(2日目)
8:30ホテル出発⇒9:00静岡浅間神社⇒11:00駿府城公園・県庁舎展望台・昼食⇒14:00日本平ロープウエイ⇒15:00久能山東照宮(国宝)⇒16:30浜松へ向かう⇒19:00浜名湖「ホテル開春楼」泊・バイキング料理と温泉

駿河国総社・冨士新宮 静岡浅間神社(国文)
神部神社・浅間神社・大歳御祖神社(おおとしみおや)の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)とよぶ。何れも御創立は千古の昔にさかのぼり、駿河国総社として広く信仰されている。三社とも鎌倉時代以降、歴代幕府の崇敬を受け、特に江戸時代には徳川氏のあつい尊崇を受けて、寛永・文化年間両度の大造営が行われた。
この神社の裏山に賤機山(しずはたやま)古墳(6世紀後半)がある。

 浅間神社 
b0273309_17315788.png浅間神社拝殿
b0273309_17322715.jpg


浅間神社敷地内の山古墳6世紀後半
b0273309_17343654.jpg横穴式石室
b0273309_17345784.jpg



駿府城跡
徳川家康は慶長12年(1607年)大御所として駿府に入り、それまでの駿府城を一回り大きくした城を全国の大名に命じて(天下普請)築城した。駿府城の構造は、三重の堀に囲まれた曲輪内側から「本丸」、「二の丸」、「三の丸」とする典型的な輪郭式縄張りの平城となっている。

上空から見た駿府城跡
b0273309_17442948.jpg敷地内駿府城跡b0273309_17451890.jpg

駿府城公園(県庁舎展望台から見た富士山)
b0273309_17475337.jpgb0273309_1748183.png


日本平(ロープウエイ)県立自然公園日本平 壮大な景観が楽しめる日本平山頂。眼下の駿河湾、伊豆半島、そして優美な冨士を一望できる。富士山眺望日本一の日本平と徳川家康公を祀る東照宮のある久能山とを約5分間で結ぶ。

ロープウェイ乗り場
b0273309_1823622.jpgb0273309_18103848.jpg

久能山へ下りていく乗り場
b0273309_1871798.jpg日本平~富士山b0273309_1831389.jpg


久能山東照宮
御祭神   贈正一位    徳川家康公
 相殿   贈正一位    豊臣秀吉公
      贈正一位    織田信長公
・久能山東照宮の由来
家康公は天文11年(1542年)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)に生れ、あらゆる艱難辛苦の末、戦国時代に終止符を打ち江戸時代260年に亘る。晩年は駿府城に隠居されたが元和2年(1616年)4月17日、75歳で薨去、御遺命によりその夜当山に葬られた。
建物は二代将軍秀忠公の命により、元和2年5月着工、同3年12月に至る僅か1年7ヶ月という短期間に造営されたもので、権現造、総漆塗、極彩色の社殿は日光東照宮より19年前に造られ、日光と比較すると地味であるが、彫刻、模様、組物等に桃山時代の技法をもとり入れられた江戸初期の代表的建物として平成22年12月24日国宝に指定された。

東照宮楼門
b0273309_18173216.jpg東照大権現の額b0273309_1822255.jpg

説明板 
b0273309_18235172.jpg櫻門の「漠」の彫刻b0273309_18241776.jpg
※「漠」とは中国で想像上の動物、形は熊に、鼻は像に、目は犀に、尾は牛に、脚は虎に似、
頭が小さく、人の悪夢を食うと伝え、その皮を敷いて寝ると邪気を避けるという。




総漆塗り・極彩色建物
b0273309_18305971.jpg
b0273309_18311535.jpg

家康公御手形
b0273309_18331542.jpg家紋は各々違う (左)秀忠・(右)家康
b0273309_18344539.png




(3日目)
8:30ホテル出発⇒9:00新居関所跡・関所資料館・旅篭紀伊国屋⇒11:30B級グルメ浜松餃子昼食⇒13:00伊場遺跡⇒14:00浜松城⇒15:00富士山静岡空港へ⇒16:30空港着⇒17:30離陸⇒19:10定刻福岡空港到着・解散


浜名バイパスより宿泊先ホテル
「開春楼」を見る(中央)

b0273309_1449588.png開春楼7階部屋から見た朝の浜名湖  b0273309_1451426.jpg



新居関所跡
家康は江戸を中心とする東海道等五つの街道を整備し、江戸防衛を目的として各街道の要所に関所を設ける。関所では「入り鉄砲と出女」と言われるように、江戸に持ち込まれる鉄砲や武器に目を光らせるとともに、江戸から出る女性に対し特に厳しい調べを行った。新居関所は、江戸時代には今切関所といわれ、慶長5年(1600年)に設置される。

新居関所建物
b0273309_1522760.jpg室内役割
b0273309_1524879.jpg


筑前国の関所破り8人衆?
b0273309_1531996.png




伊場遺跡
1500年~1300年前古墳時代の竪穴住居
b0273309_15123163.jpg
掘立柱建物遺跡b0273309_1513352.jpg



浜松城
家康公が、武田信玄の侵攻に備え、遠江を見渡せる丘に築いた城。
29歳~45歳までの17年間、浜松城を居城とし、遠江を平定して天下取りの礎を築く。
三方ヶ原の戦いの敗北など試練多き時代でもあった。

b0273309_15183520.jpg家康像
b0273309_1519580.jpg






帰路

これで帰ります
b0273309_15382715.png
夕焼けに向かって一路福岡へb0273309_1684335.png






b0273309_161479.pngb0273309_161479.png

3日間は天気にも恵まれてたいへん充実した研修旅行になりました。
参加の皆様、お疲れ様でした。
[PR]
by Fukuoka-heguri | 2015-10-30 16:32 | 研修旅行

2013 年研修旅行

2013年 10月29日~10月31日
東北研修旅行
参加者 8名

1日目 瑞鳳殿、仙台城
2日目 中尊寺、高館義経堂、平泉文化遺産センター、毛越寺、達谷窟毘沙門堂
3日目 松島瑞巌寺、多賀城跡、東北歴史博物館


平成25年10月29日午後仙台空港到着。

b0273309_18504394.jpg
あの3.11から二年半が経過し空港は見事に復旧していました。物資輸送手段の確保、震災復興のシンボルとして、米軍の「トモダチ作戦」によりいち早く5日後の16日には再開しています。
*震災直後の仙台空港( 読売新聞2012・3月17日)b0273309_19155411.jpg

            


①瑞鳳殿(国宝)
伊達藩藩祖正宗の逝去(1636年)の翌年建立された霊屋。豪華絢爛な廟建築として1931年国宝指定。1945年戦災で焼失、1979年再建。伊達男など伊達の語源となった正宗やその家臣の派手好み面目躍如と言ったところでしょうか
b0273309_18563963.jpg

正宗山瑞鳳寺門前の珍しい点画方式の下馬石。筆順を表わしています。
b0273309_18572060.jpg

参道に突如現れたご当地ゆるキャラ「むすび丸」と記念撮影
後方左の足軽から柔らかく強要された「ずんだもちー」の掛け声が私達の場面のみならず、他の観光客や学生達の撮影のタイミングでも「ずんだもちー」と木霊することになりました。
お土産に買ったずんだもちは美味しかったです。
b0273309_193261.jpg


②仙台城(青葉城)
  ♪ 広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず 早瀬躍る光に 揺れていた君の瞳・・・♪
と青葉城恋唄を口ずさみながら仙台城を見学。
仙台城は伊達政宗が1601年青葉山(標高144m)に築城した山城(後に麓に二の丸、三の丸が築城されてからは平山城)で広瀬川や自然の渓谷、断崖、原生林などを活用した天然の要害。敷地は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇り、全国最大級の城であったということです。
b0273309_19131059.jpg


隙間なく積み上げられた切石積みによる石垣(切込接)
b0273309_19133289.jpg

③平泉
2日目は世界遺産である中尊寺、毛越寺、無量光院跡、(平泉文化遺産センター)のほか高館義経堂を見学しました。
平泉は前9年の役・後3年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、東北地方一帯に勢力を張った豪族奥州藤原氏(清衡、基衡、秀衡、泰衡)の本拠地。
岩手県南、県央部を支配していた安倍氏と朝廷とが争った上記戦の後、敵味方の区別なくすべての霊をなぐさめ、仏国土実現するため清衡、基衡、秀衡の三代にわたり中尊寺、毛越寺、無量光院などを造営した。
秀衡は兄・源頼朝に追われた義経の引渡要求を拒んで匿ったが、死後、息子の泰衡は頼朝の要求を拒みきれず文治5年(1189年)義経を自殺に追い込み、義経の首を頼朝に引き渡す事で頼朝との和平を模索した。しかし、関東の後背に独自の政権があることを恐れた源頼朝は同年7月、義経を長らくかくまっていた事を罪として奥州に出兵、奥州藤原氏を滅亡させた。

中尊寺金色堂(覆い堂)
b0273309_19201113.jpg
松尾芭蕉像
「五月雨の降り残してや光堂」
b0273309_1930493.jpg
毛越寺庭園
日本有数の浄土庭園である。
特別史跡、特別名勝の二重指定を得ている。
毛越寺はモウツウジと読む。越はオツと読み、
モウオツジ→モウツジ→モウツウジと変化したものです。
b0273309_19272010.jpg
高館義経堂(タカダチギケイドウ)の傍らに芭蕉句碑
「夏草や兵どもが夢の跡」
落ちのびてきた義経は北上川に面した丘陵に、秀衡から居館を与えられ泰衡から攻められここで自決した。武運つたなく散った悲劇の英雄を偲んで詠んだ名句です。
b0273309_19322264.jpg
④多賀城跡
3日目の多賀城跡
多賀城は大和朝廷が蝦夷を制圧するために軍事的拠点として、蝦夷との境界となっていた塩釜丘陵上に設置したもので奈良・平安時代に陸奥国府が置かれ、724年の建創から11世紀の半ばまで、古代東北地方の政治・軍事の中心地としての役割を果たした。多賀城は約900m四方で周囲は築地塀で囲まれ、南、東、西に門が開かれ、中央に政庁が配置されていたとのこと。当時の日本では平城京を中心に、南に大宰府、北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城を建てて一大拠点とした。日本三代史跡の一つです。
いま多賀城跡は仙台平野を見渡すなだらかな斜面に静かに礎石の跡と原っぱが広がっています。
b0273309_19385818.jpgb0273309_19391283.jpg







お楽しみ編
福岡でも人気の牛タン料理「利久」 
美味しいのは牛タンばかりではありません。
魚も新鮮でGood!
b0273309_1944161.jpg

楽天の応援で盛り上がりました!
巨人対楽天の試合を地元の人たちとTV観戦。b0273309_19445650.jpg
前沢牛の専門店、その名も「牛の里」で昼食。
店内入口に当日使用する各部位の個体識別番号を表示していました。
b0273309_19483440.jpg

写真撮影の際、いつも使っている「チーズ」の代わりに叫んだ「ずんだもちー」
お土産に買う人も多く、好評でした。
b0273309_1950413.jpg



東北の旅を終えて~~~~    
大和朝廷が日本を平定する過程で、出雲、東国、九州などについては神話の世界でありますが、東北地方については歴史上の人物・事件が数多く登場して興味深く、新たな知識を吸収することができ大変充実した旅となりました。
[PR]
by Fukuoka-heguri | 2013-10-31 18:42 | 研修旅行

2012年度 研修旅行

2012年の平群倶楽部恒例の研修旅行は、中九州(大分県~熊本県)を巡る二泊三日のバス旅行でした。10月30日早朝7時、姪浜駅北口から、「心躍る三日間の旅」は始まりました。

一日目 大分自動車道で宇佐市へ、(宇佐神宮)(宇佐風土記の丘・県立博物館)そして、国東半島(富貴 寺)(真木大堂)(熊野磨涯仏)(三浦梅園旧宅)を巡り、杵築旧市街をバスの車窓から眺めながら、
東九州 自動車道を通って竹田市の長湯温泉に到着しました。
宇佐神宮と神宮寺と国東半島六郷満山の仏教文化との、繋がりに興味津々です。
宇佐市の駅館川付近は、3~6世紀という長い期間安定した支配が行われていた様です。
江戸時代の偉い学者である三浦梅園が、こんな田舎で哲学していたとは、驚きでした。


宇佐神宮大鳥居、
宇佐神宮は全国で2万5千社余り有るとも云われる
八幡宮の総本宮で、ここは八幡大神の発祥の地です。

b0273309_20454698.jpg


二日目 竹田市(岡城址・滝廉太郎記念館)から二日目の始まりです。バスは熊本県へ、阿蘇山を通って
上益城郡山都町へ行き(清和文楽邑・文楽館)通潤橋を見学、宇土市内から、(向野田古墳)(宇土市土
資料館)熊本市へと(熊本城)(旧細川刑部邸)向いました。
阿蘇の山は雄大でしたが、あちこちに豪雨災害の爪跡が、生々しく残っていました。
清和文楽は江戸時代の末に、村の農家の人達が習い覚えて今に伝わったものだそうです。

阿蘇山をバックにb0273309_22345533.jpg


向野田古墳(前方後円墳)
竪穴式石室から阿蘇溶結凝灰岩の長さ4m(全国で2番目の長さ)の巨大な舟形石棺が出土しました。
b0273309_204825100.jpg




三日目 最終日はまず植木町へ(田原坂古戦場)そして和水町(なごみまち)(江田船山古墳)(和水町歴
史資料館)次に、山鹿市鹿央地区(県立装飾古墳館)(岩原古墳群)それから山鹿地区(オブサン古墳 ・
チブサン古墳)(山鹿市立博物館)を巡って、最後に南関町へ行きました。(南関町豊前街道御茶屋跡)
御茶屋とは、花街のお茶屋ではなく、歴代藩主が参勤交代や領内巡視の時、宿泊や休息のために使用さ  れた建物(本陣)のことだそうです。
銀象嵌銘太刀等豪華な副葬品で有名な、江田船山古墳の家形石棺が目の前にありました。
チブサン古墳の有名なあの装飾文様も、しっかりと見ることもできました。
山鹿市立博物館の、方保田東原遺跡(かとうだひがしばるいせき)の出土遺物は、ただごとではない感じが します。邪馬台国と対立した「狗奴国」なのかもしれません。

オブサン古墳(円墳)
オブサン(うぶさん=産さん)古墳は「お産」の神様として信仰の対象となっているということでした。
b0273309_20583339.jpg

チブサン古墳の装飾文様
玄室の奥に石屋形があり、その内側に原色で描かれています。二つの円文が女性の胸に似ていることから「チブサン」という名がついたそうです。

      (画像をクリックすると大きくなります)
b0273309_214232.jpg
 


バスは、南関ICから九州自動車道を走り、11月1日18時すぎ、姪浜駅北口に着きました。
実に面白く、楽しい三日間の平群倶楽部の研修旅行でした。  
[PR]
by Fukuoka-heguri | 2012-12-11 21:10 | 研修旅行