史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

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2013年2月度史跡巡り

[史跡巡り]2013/2月度 
平成25年2月19日(火)糸島の古墳や神社、博物館などを見て廻りました。

午前 釜塚古墳・一貴山銚子塚古墳・曲り田遺跡・鎮懐石八幡宮・塚田南遺跡
昼食 伊都安蔵里(いとあぐり) 安蔵里健康御膳 安蔵里豚汁御膳
午後 糸島市鎮座宇美八幡宮・糸島高校博物館・新町遺跡展示館・志摩歴史資料館
鎮懐石八幡宮では空閑(くが)宮司 宇美八幡宮では武内宮司のお話を聞きました。
新町遺跡展示館と志摩歴史資料館では伊都国歴史博物館のボランティアの人に案内して
もらいました。

釜塚古墳
直径56m、高さ約10mの大型の円墳で、幅約8mの周溝が巡らされていたそうです。石室は「竪穴系横口式石室」と呼ばれる初期の横穴式石室の形態で、5世紀初頭の築造といわれています。
生憎の残念な雨です、でもしかたない。
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周溝からは石見型木製品(いわみがた)が出土したそうです。 
石見型木製品とは奈良県の石見遺跡で出土した石見型盾形埴輪(いわみがたたてがたはにわ)とよばれる埴輪とよく似た形の木製品という意味だそうです。名前の付け方がいい加減な気がします。
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古墳のてっぺんまで登山しました。
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一貴山銚子塚古墳
全長103mの糸島地域最大の前方後円墳です。竪穴式石室からは、鏡10面他、鉄製素環頭太刀、鉄刀、鉄剣、鉄槍、硬玉製勾玉、碧玉製管玉等が多数出土しています。
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鏡は舶載鏡(中国製)が2面、そのうちの1面は鍍金(金メッキ)製の方格規矩四神鏡で、鍍金鏡は全国で3例しかない珍しいものです。もう一面は内行花文鏡で、仿製鏡(日本製)の8面はあの有名な三角縁神獣鏡です。調査を指揮した京都大学の小林行雄教授が後に発表する「同笵鏡論」の礎となったのが、この古墳なのだそうです。
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曲り田遺跡
稲作の始まりを裏付ける土器や石器、竪穴住居、支石墓、甕棺墓などが発掘され、稲作開始時期を知る貴重な手がかりとなった集落遺跡です。
縄文晩期末の土器とともに小さな鉄片も出土し、いつからが弥生時代かという時代区分論争を引き起こしました。また、塚田南遺跡の「深江駅家」が9世紀初頭にはこの地に移転したのだろうと考えられる、道路状遺構や建物跡も確認されているそうです。
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鎮懐石八幡宮
神功皇后伝説で有名な神社です。ここには九州最古の万葉歌碑があります。
安政六年(1859年)に建てられたもので、筑前の守山上憶良の作です。この長歌によって塚田南遺跡が深江駅家の跡であると確認されたのだそうです。
万葉歌碑の前で勢ぞろいで宮司さんの話に聞き入りました。この碑の書は豊前中津藩の人で、この地は長い間中津藩の飛び領でした。
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宮司の空閑(くが)さんです。
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昭和11年遷座の拝殿の床板は85センチを超える幅があり、当時はこの周辺に松の巨木が多かったことを物語るのだそうです。
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塚田南遺跡(深江駅家ふかえのうまや跡)
古代の交通、通信制度として7世紀後半には「駅伝制」が確立していたようです。
古代幹線道路は現在の高速道路のように一直線に作られていて、三十里(約十六㎞)ごとに駅馬を配置した駅家が置かれていました。この道を国司の許可を得た特別な役人が駅鈴を鳴らしながら馬を走らせていたのです。この遺跡からは、道路跡と大型の建物跡が発見されています。
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糸島市鎮座宇美八幡宮
縁起によれば、気比大神が神功皇后三韓渡航の折、船上に現われて援助をされた。皇后は三韓より帰朝され、仁徳天皇の治世十年に、平群木菟宿祢の子博公を神主として此の霊蹟に神社を建て気比大神を祀らせた。是が本宮の縁起である。
上宮は長嶽山南方に鎮座する丸型山稜で頂上に石祠がある。祭神は仲哀天皇である。神功皇后の摂政元年、武内宿禰に命じ、香椎に在るところの先帝のお棺を当山に収めて、築陵したとある。皇后の三韓御渡航の折の御殯斂(ひんれん)の地か、とありました。
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日本書紀の応神即位前記に応神天皇は「筑紫の蚊田に生まれませり」とあり、その地は
筑前國怡土郡長野村蚊田、現在の糸島市前原長野のことであるという説があります。
もしこれに従えば神功皇后はこの糸島の地で応神天皇をお産みになられたことになります。
以前、糟屋郡の宇美八幡宮とここ糸島の宇美八幡宮とは本家争いを行ったようですが、
そのことは縁起書にはありません。一説によれば戦前に、本家争いの裁判があって、糟屋郡の宇美八幡宮が勝った。そしてその時、ここ糸島の宇美八幡から貴重な歴史資料が某有名大学等に移され、その後詳細が不明になってしまったという事だそうですが、宮司さんはそのことについては、あまり詳しくは語られませんでした。
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狛犬に睨まれました。
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武内宮司は武内宿禰から数えて八十二代目にあたられるそうです。
宮司は三台の神輿が坂道を、氏子をお供に下る「秋季大祭」のことを話されました。
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武内宮司の話で一番驚いたのは、この宇美八幡宮の上宮と本宮のある長嶽山は、自然の山では無くて、人工的に赤土を盛って作られた山、つまり古墳であろうと思われるという話でした。この巨大古墳の被葬者はいったい誰なのでしょうか。
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県立糸島高校郷土博物館
県立の高等学校の中にある珍しい博物館です。縄文時代から弥生時代、古墳時代のいろいろな出土品、それから瓦経や経筒、そして江戸時代の人相覚まで、その展示物は見事なものでした。この学校の歴史部の生徒は、卒業生である原田大六さん達の協力で、発掘作業と整理、複元作業を行ったのだそうです。素晴らしい学校です。
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福岡県指定文化財の舟形石棺(長須隈古墳)
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新町遺跡展示館
昭和57年度の第一次調査で57基の支石墓を主体とする墓域が発見され、弥生時代開始期の埋葬人骨が出土したことで有名な遺跡です。人骨は低顔・低身長で抜歯もしていました。
弥生時代の墓の中からでてきたのは縄文人の骨でした。さてどういうことなのでしょう。
  下見の時の写真です。この日は晴れでした。
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磨製石器が刺さった状態で埋葬された男性人骨も発見されています。日本最古の戦死者だそうです。
模型はこれから行く志摩歴史資料館にあるそうです。
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 伊都歴史博物館のボランティアの人に案内してもらいました。
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隣接する御床松原遺跡は大正六年九州大学の中山平次郎博士の「貨泉」の発見で、弥生時代の年代の決め手となったことで有名なのですが、今はなにもありません。
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志摩歴史資料館

最後に志摩歴史資料館へ行きました。ここも伊都歴史資料館のボランティアの人が案内してくれました。説明が上手で、それも勉強になりました。
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竪穴式住居は冬暖かく夏涼しく、縄文時代から鎌倉時代まで続くそうです。
新町遺跡の「貨泉」が展示してありました。新町遺跡の支石墓から出土した縄文人の骨もありました。最古の戦死者です。古代の製鉄施設の模型もありました。
紙に記された最古の戸籍がありました。戸籍は6年に一度作成され、不要となった貴重な紙は、裏紙を利用するため払下げになったのだそうで、実物は正倉院に伝来したものだそうです。大宝2年(702)の筑前国嶋郡川辺里の戸籍の断簡で、筑前国嶋郡川辺里は、今の福岡県糸島市志摩町のあたりと考えられ、つまりこの歴史資料館のすぐ近くなのです。
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今日の予定は無事終了しました。
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by Fukuoka-heguri | 2013-02-19 17:51 | 史跡巡り