史跡案内ボランティアガイド


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4月度史跡巡り

2013年4月度史跡巡り
大村地区(大村公園・城下町散策と松林飯山の足取り)を巡りました。
午前 大村市観光コンベンション協会 → 大村公園 ~ 玖島城址
午後 五教館御成門 ~ 家老屋敷跡 ~ 旧楠本正隆屋敷 ~ 旧円融寺庭園
   ~ 草場小路通り → 松林飯山遭難の碑 → 松林飯山の墓  

玖島城は、日本初のキリシタン大名である大村純忠の嫡男の、大村喜前(よしあき)
によって、慶長3~4年(1598~1599)に築かれました。その後、玖島城は
ただの一度も戦火にあうことなく、江戸時代を通じて大村藩の中心でありつづけて、
現在は桜や花菖蒲の名所として、多くの人が訪れる憩いの場(大村公園)になっています。
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今年は桜の開花が早く、ソメイヨシノは散って終まっていて、
お目当ての天然記念物の大村桜も、すこし元気を失くしていました。
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「打ち込み接(は)ぎ」工法で築かれた板敷櫓の石垣は、
扇を開いた様に高く反りかえり、加工された大小の石が、
パッチワーク状に嵌めこまれていて、綺麗でした。
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天下の趨勢を見誤れば、あの筑後の草野氏のように所領を没収され
滅ぼされてしまう時代、大村純忠は秀吉の島津征伐に参陣して所領安堵され、
嫡男善前は日蓮宗に改宗し、関ヶ原の合戦の時には家康に臣従しました。
そして幕末には倒幕の中枢藩の一つとして明治維新を迎えます。
大村藩は、先祖以来の領地を、明治に至るまで存続することができた、
極めて珍しい藩なのです。

「大村藩勤王三十七士」の一人として知られる楠本正隆は、維新の後、
新潟県令、東京府知事、衆議院議長等を務め、その功により男爵を授け
られています。もし松林飯山が生きていたら、それ以上の出世をしていた
だろうと思われています。
残念なことに、慶応3年(1867年)、大村藩勤王派の盟主であった飯山は、
藩内の佐幕派に、ここで暗殺されてしまうのです。
松林飯山遭難の碑
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旧円融寺は、4代藩主純長が跡目相続を許された恩義に報いるため、
徳川家の位牌を祭ることを願い出て、特別に許可を得たゆかりの寺なの
だそうです。
今は護国神社になり、戊辰(ぼしん)の役戦死者の墓、飯山を筆頭とする
三十七士の碑などがありました。
境内の、江戸初期の様式を伝えるという斜面を利用した枯山水の石庭は、
三尊方式石組というそうで、めずらしい庭園でした。
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草場小路武家屋敷通りの有名な五色塀を見ました。
いろいろな海の石が使われていました。
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最後に松林飯山のお墓を訪ねました。
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*明治維新の夜明け前に、大村藩勤王派の首領として活躍した松林飯山は、
天保10(1839)年の2月に、筑前早良郡金武村羽根戸で生まれました。
福岡市西区の羽根戸の一乗寺の近くに松林飯山の出生地の碑があります。
平群倶楽部は定期ガイドで、この誕生記念碑も案内をしています。
(2011年5月の平群倶楽部定期ガイドの写真です。)
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by Fukuoka-heguri | 2013-04-24 15:01 | 史跡巡り