史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

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2013年5月度史跡巡り

2013年5月度・史跡巡り
石人山古墳から岩戸山古墳へ
午前 石人山古墳 → 弘化谷古墳 → 広川町古墳公園資料館 
昼食 八女べんがら村 バイキング昼食
午後 岩戸山古墳 → 岩戸山歴史資料館 → 童男山古墳群

石人山古墳 
広川インターをおりて広川町古墳公園資料館に到着、教育委員会の人の
案内で、まず石人山古墳へ行きました。
5世紀前半の前方後円墳で、墳長は107mの大きさです。
前方部と後円部のくびれ部分に、かつては後円部の石室入り口を背にして
被葬者を守護するかのように「武装石人」が立ちはだかっていたそうです。
今は、「武装石人」は保護のために建てられた建物の中に、立っていました。
その建物の中に入って、石人をじっくり見ることができました。
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武装石人は身長約1.8mで、今は彫刻の装飾が判らないほど傷んでいますが、
短甲を身に付け、靫(ゆき)を背負って武装した姿をしていたそうです。
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竪穴系横口式石室も、覆い被せるように、かまぼこ形の建物で保護されていました。
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昭和31年(1956年)森貞次郎博士の詳細な論証によって、磐井の寿陵は岩戸山古墳であると云う事が確定されるまでは、ここ石人山古墳が、磐井の墓であるとされていましたが、今は、磐井の何代か前の初代筑紫国造の墓所であろうと、考えられています。

竪穴系横口式石室のなかに、阿蘇溶結凝灰岩製の「横口式家形石棺」が置かれています。
この「横口式家形石棺」はあの江田船山古墳の横口式家形石棺によく似ています。
銀象眼大刀や、冠帽、沓、装身具などが、ここにも副葬されていたのかもしれませんが、
発掘時にはすでに盗掘されていて、なにも出なかったということです。
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その屋根形の蓋の両側に浮き彫りされた同心円文と直弧文が、九州の装飾古墳の始まりとされています。
かつては一面に赤い色が塗られていた様です。
それにしても、直弧文は何を表しているのでしょうか。
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直弧文の起源にはスイジガイ説や組紐説などがありますが、定説はなく、日本特有の謎の文様とされています。
直弧文は、死霊が飛び出して祟りをしないように身動きできない状態に紐で十文字にして、封じ込めた形だという説が、一番有力なようです。
松本清張さんは、直弧文は鏡の破片図象であると云われます。
「鈕座の抜け落ちた割れた鏡は、そのまま直弧文の図形になりそうである。」と書かれています。
(河出文庫 遊古疑考)
この横口式家形石棺の屋根形の蓋の両側に浮き彫りされた同心円文と
直弧文は、副葬品である鏡と破砕鏡を表しているのでしょうか。
弥生時代からある破砕鏡の副葬には、どういう意味があるのでしょうか。

弘化谷古墳(こうかだにこふん)

6世紀中頃の築造の直径約39mの円墳で、八女古墳群の円墳の中でも、最大級の大きさだそうです。
横穴式石室の正面には、装飾壁画が描かれている石屋形が設置されているそうですが、ここの入口は開けてはもらえませんでした。
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壁画は石屋形の奥壁、両側壁、天井石の、各内面と各全面小口の7面に、赤と緑で三角文、円文、双脚輪状文、靫(ゆき)が描かれ、靫(ゆき)だけは輪郭が線刻されているそうです。
双脚輪状文は、熊本の釜尾古墳、福岡の横山古墳と王塚古墳、そしてここ、弘化谷古墳の4か所の古墳にしか無いという、謎の文様です。
カタログの壁画実測図や、資料館にあるレプリカを見ると、王塚古墳の双脚輪状文はちゃんと二本の足で立っているのに、ここの双脚輪状文は、何ということか寝転がっていて、謎は深まるばかりです。
壁画実測図の中央部左の(E)2か所が、横を向いた双脚輪状文です。
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広川古墳公園資料館
弘化谷古墳の石室のレプリカの横に、飯盛神社の鳥居の横にあるものと同じ様な盃状穴石がありました。これも謎です。ここには、縄文・弥生時代の広川町周辺の歴史資料が展示されていました。


古墳公園資料館(広川町教育委員会)の人たちに別れをつげて、お茶畑の道を通り、八女市の、べんがら村で昼食「バイキング昼食」、それから岩戸山古墳へ向かいました。

岩戸山古墳(いわとやまこふん)
岩戸山古墳文化財案内ボランティアの西田さんの案内で、墳長135mの
前方後円墳の周囲を歩きました。
岩戸山古墳はあの「磐井の乱」の筑紫君磐井の墓です。
日本の古墳のうちでも、被葬者?築造主が判明している数少ない貴重な
古墳ですが、内部主体は未調査です。
横穴式の石室には、凄い装飾が施されているのかもしれません。
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岩戸山古墳の東北隅には、外堤に続く一辺約四十三メートルの区画(別区)があり衙頭(がとう)とよばれ、そこには石人石馬が並べられて、生前の磐井自身の絶大な権力の様子が、表わされていたということです。
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筑紫君磐井とは何者なのでしょう。継体天皇とはどういう関係なのでしょう。
磐井の乱とは、どういう戦争だったのでしょうか。


岩戸山歴史資料館
歴史資料館の館長が、詳しく丁寧に説明をしてくれました。
ここには岩戸山古墳並びにその周辺より出土したと思われる石人・石馬等の石製品、それから八女古墳群からの出土品の埴輪・須恵器・金環・金製垂飾付耳飾り・鉄製の馬具・などが展示されています。
古墳時代の八女古墳群の出土品のなかに、継体天皇陵である今城塚古墳から出土した人物埴輪と同じものとしか思えない、そっくりの人物埴輪もありました。
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童男山古墳(どうなんざん古墳)
八女市教育委員会の文化財係長さんが案内をしてくれました。
一帯は童男山古墳郡を形成していて、現在までに27基が確認されているそうです。それらの中心にあるのが1号墳で、元々は直径約48mの円墳だそうですが、今は羨道部分が存在しません。
玄室には凝灰岩の巨大な石屋形があり、玄室の右側壁は大きな一枚岩でした。
古墳の前に横たわる大きな岩は、今はない羨道の天井部分だろうということです。
玄室の中での係長さんの説明は、大変興味深いものでした。

ここは、秦の始皇帝の時代に、中国から不老不死の薬を探すために日本にきた徐福の墓であるという伝説があり、毎年、1月20日の徐福の命日には、近所の川崎小学校の児童により「童男山ふすべ」という行事が行われているそうです。
「ふすべ」というのは、たき火のことです。徐福のやすらかなねむりを念じて煙が絶えないように火を焚き続けたという伝説が、その由来なのだそうです。
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~~~~~~~~~
古墳公園資料館(広川町教育委員会)の皆さん、岩戸山古墳文化財案内ボランティアの皆さん、
岩戸山歴史資料館の館長さん、そして八女市教育委員会の文化財係長さん,
たいへんお世話になりました。興味深い話を、ありがとうございました。
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by Fukuoka-heguri | 2013-05-27 22:59 | 史跡巡り

2013年5月度・定期ガイド 

定期ガイド・2013年5月18日 野方・飯盛~吉武地区 歴史・自然探訪コース  
野方バス停・受付け 野方遺跡公園・挨拶、準備運動
野方遺跡・住居跡展示館⇒大村桜・松林飯山生誕記念碑⇒飯盛神社⇒
飯盛神社中宮・昼食⇒飯盛文殊堂⇒吉武高木遺跡⇒挨拶・解散

野方遺跡公園で挨拶・準備運動  
気持ちの良いお天気です。
今回は西区の舞鶴高校の歴史部のグループ8名が参加、いつもとは
少し違った案内になりました。
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野方遺跡
吉野ヶ里遺跡よりも早く、国指定史跡になった弥生時代の環濠集落遺跡です。
この遺跡の発見のきっかけは、宅地造成工事中に、無造作に積み上げられた
土砂の中に、弥生土器の破片があるのを見つけた、近所の高校生だそうです。
ここには大小二つの環濠があり、大きな環濠内には、竪穴式住居跡が7軒あり、
小さい環濠内には、穀物倉庫と推定される掘立柱構造の建物跡があります。
この環濠は、吉野ヶ里のような防御用ではなく、区画の為の施設のようです。
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野方遺跡住居跡展示館
弥生時代後期と古墳時代前期の住居跡が、発掘されたままの状態で
保存されている展示館です。手前が弥生後期、奥が古墳前期です。
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野方遺跡から飯盛神社までの途中に、移植された大村桜と
松林飯山の生誕記念碑があります。
「大村桜」
ここ羽根戸町が、幕末の大村藩で活躍した松林飯山の生誕地である縁で、
大村市から贈られた、国指定天然記念物です。
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         2012年4月17日撮影した大村桜
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松林飯山生誕記念碑の前
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飯盛神社
平安初期の貞観元年(859年)の創建といわれる歴史のある神社です。
南北朝の戦乱(1353年)で焼失しましたが、江戸時代の1650年に
2代藩主黒田忠之が再建しました。
粥占い・小笠原流草鹿式・夜神楽・流鏑馬などの、有名な神事があります。
暑いので、日陰の土俵の上で案内をしました。
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飯盛神社中宮
飯盛神社中宮も本殿と同じく南北朝の戦乱(1353年)で焼失し、
平成14年(2002年)に750年振りに再建されました。
日本一大きなアルミ合金製の大鳥居や、飯盛神社に伝わる宋風の狛犬のレプリカがあります。
本物は小郡の九州歴史資料館で見ることができます。
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*この写真は2012年5月撮影したものです。

狛犬は、本来、ア形の獅子と、頭に一角をつけたウン形の犬との一対が、
正式とされていますが、この狛犬は両方とも獅子で、ア型は雄で毬をもち
ウン形は雌で子獅子を抱いています。これは中国宋の時代の形式だそうで、
宋風狛犬と呼ばれるものだそうです。
両方とも洲浜座(すはまざ)という台座に乗っています。
洲浜座は波打ち際の岩を表現した台座で、釈迦如来に従う十大弟子像が立つ
台座だそうです。有名な興福寺の阿修羅立像の台座も、洲浜座です。
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飯盛文殊堂
ここには市の指定文化財が二つ伝わっています。
鎌倉時代の末期の、文殊菩薩騎獅像という全高2.16mの仏像と、
南北朝時代の貞和5年という記年銘のある板碑です。
このあたり一帯は、かつては飯盛神社の神宮寺があった場所で
明治時代には「学制発布」により、飯盛小学校が建てられました。

吉武高木遺跡
我が国最古の王墓、幻の早良王国とマスコミを騒がした弥生時代前期末の
国指定史跡で、現在史跡公園化が進められています。その基本テーマは
「国の成立と展開」だそうです。今年の秋に一部がオープンになります。

吉武高木遺跡の看板の前で記念写真を撮り、解散です。
          「高校生のみなさん、また参加してください」
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by Fukuoka-heguri | 2013-05-22 22:40 | 定期ガイド

2013年5月度・定期ガイドのご案内

参加者募集中です
歴史と自然散策のご案内
平群倶楽部(ボランティアガイドグループ)主催で福岡市西区にある野方・飯盛地区を
歴史探訪ウォークしてみませんか?

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・日時;2013年5月18日(土)
・集合; 地下鉄姪浜駅南口バス停8:50(9:00発に乗車) または
     地下鉄橋本駅向い側"木の葉モール橋本前"バス停9:00(9:12発に乗車)
     (受付場所まではそれぞれバスで移動)
受付; 西鉄野方(営)バス停横 9時30分より(お近くの方は直接でも可)
・参加費; 大人300円 小学生以下100円(保険、資料代)各自お弁当、飲み物は持参。
・申し込み締め切り: 5月13日(月)迄
・申込み先; ハガキ・電話又はe-メールで(参加コース名:「野方・飯盛歴史探訪ウォーク」
参加者の〒・住所・氏名・年 齢・電話番号)を忘れずに記入のこと。
〒819-0013福岡市西区愛宕浜2-3-9-3202  深堀 光康 【Tel:090-1114-8556】
申し込み用のe-メール: nishikuyokatoko@gmail.com まで

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by Fukuoka-heguri | 2013-05-13 23:59 | 定期ガイド