史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

カテゴリ

定期ガイド
史跡巡り
日帰りバス研修
研修旅行
臨時ガイド
ジュニアプロジェクト
平群倶楽部について
会員の活動
イベント
その他

以前の記事

2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 07月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 05月
2012年 03月
2011年 03月
2010年 09月

最新のコメント

メモ帳

検索

最新の記事

2017年11月度史跡巡り(..
at 2017-11-21 20:37
平成29年度 連絡協議会バス..
at 2017-11-09 19:23
2017年11月度 定期ガイド
at 2017-11-03 20:50
11月定期ガイド(旧三瀬街道..
at 2017-10-30 23:59
2017年秋の研修旅行
at 2017-10-26 20:34

<   2014年 05月 ( 2 )   > この月の画像一覧

2014年5月度 史跡めぐり 

2014年5月 史跡めぐり
520日(火)佐賀県 有田町とその周辺の散策、参加者9名


史跡めぐり行程 

出発⇒二丈浜玉道路⇒桃川口留番所跡⇒有田町歴史民俗資料館⇒泉山磁石場(国史跡) ⇒泉山弁財天社の大銀杏(国天然記念物)⇒有田陶磁美術館⇒昼食(亀井鮨) ⇒天狗谷窯跡(国史跡)⇒県立九州陶磁文化館⇒解散



あいにくの雨で、陶山神社と李参平の碑等には行けませんでしたが、まもなく創業400年になる日本陶磁器の歴史と製作方法などを学び、素晴らしい有田焼の作品を堪能しました。







桃川口留番所跡 
近代史に詳しいメンバーの古場さんの説明   佐賀藩 桃川口留番所跡

b0273309_10284445.jpg

b0273309_10292076.jpg



口留番所とは、江戸時代に徳川幕府が治安上の理由で設けた「関所」と同じような機能で、旅行者と商品の監視や、通行する品物への税金(口役銀)を徴収するために、諸大名が独自に設けた比較的小さな規模のものです。
幕府を憚り、「関所」の名称を避けて「番所」の体裁にしました。

桃川番所跡は、唐津藩(一時天領)の伊万里と佐賀藩の武雄(塚崎)の境界に佐賀藩が設けた番所の跡で、元は現在地より1kmほど北にあったものを、現在地に復元したものだそうです。当街道筋は長崎街道の脇街道と呼ばれ、その昔、長崎で処刑された26聖人がこの道を引き立てられたということです。

ここで本日のガイドの1人、井手さんと合流し、一緒に次の目的地の資料館に向かいました。



有田町歴史民俗資料館

尾崎葉子館長ほか本日のガイドをお願いしている八尋さん、中島さん達のお迎えを受け、尾崎館長のわかりやすい説明で館内を案内していただきました。説明資料も平群倶楽部用として製本までしていただいており、周到な準備に一同感激しました。



  説明中の尾崎館長

b0273309_10292672.jpg

失敗品の廃棄地層(茶碗のかけらが層に)

b0273309_10293734.jpg

資料館では、近くで発掘された陶磁器の破片や製品が時代を追って陳列されており、有田の陶磁器の歴史と変遷を知ることができます。登り窯模型や各種工具類を見ながら採石から商品の荷造りまでの製造工程を学びました。ロビーに飾られた失敗品の実物の廃棄地層に、その歴史の重みを感じました。戦時中には金属がなくなり、実際には使われなかったが手榴弾や大砲の弾まで有田焼で造ったこともあったそうです。




登り窯模型
b0273309_10294366.jpg


有田焼の大砲や手榴弾など
b0273309_10295139.jpg   




豊臣秀吉の文禄・慶長の役の後、鍋島藩が朝鮮半島から大勢の陶工を伴って来ました。     

陶器の需要の拡大に伴い、生産地域もそれ以前から始まっていた唐津周辺から拡大し、1610年代に始まった磁器の生産が有田周辺で急速に拡大した。最初は形や焼き方は朝鮮、染付は中国福建省の物まねから始まり、次第に有田系技術も発達した。1647年明朝の滅亡により中国磁器の輸出が止まり、その代替品として東南アジアやヨーロッパに向けての輸出が一時拡大したが、1684年に再開された中国磁器(景徳鎮)の輸出で、肥前の磁器は徐々に締め出されることになったようです。最後の輸出記録は1757年となっています。


再び雨の中を外に出て、資料館隣にある泉山磁石場へ移動しました。
ここからは八尋さんに説明をしていただきました。

泉山磁石場(国史跡)

        泉山磁石場採掘跡(ここには一山あった) 
b0273309_10295933.jpg

泉山陶石は、記録によると17世紀の初めに渡来した、有田焼の祖・金ヶ江三兵衛(李参平によって発見されたとするものと、1773年に家永正右衛門によって発見されたとするものがあるそうです。

陶器は土で造りますが、磁器の元は石です。陶石は石英粗面岩の一種で、石英やセリサイト(絹雲母)を主成分とし、鉄分のすくないところは白色になります。この石場は貴重な原料を守るため、江戸時代は代官所、明治になっては有田の窯焼きたちによって厳しく管理されました。
広さは約5万㎡で、多い時には年間1万トンもの陶石が掘られています。掘った陶石の4割は鉄分を含むため捨てられたようです。さすがに数百年の間に一山なくなってしまい、大正時代になると、熊本県の天草陶石が使われるようになり、現在に至っています。 
採石再開の可能性を考えて、国史跡の指定箇所は一部分にとどめてあるそうです。


泉山弁財天社の大銀杏(国天然記念物)


b0273309_11053270.jpg

弁財天社境内の大銀杏
大銀杏は、弁財天社の境内にあり、大正15年に天然記念物に指定されました。樹齢は千年くらいとみられ、高さ40m、根回りが11.6m、枝の張りは31mに及び、佐賀県内で一番の大きさだそうです。葉が黄色く染まる時期は壮観ですが、掃除も大変のようです。幸い木はオスのため実はなく、銀杏の臭い匂いの心配はないようです。また大木で周囲に水気を集めているため、以前の大火の時も近所は延焼を免れるなどの御利益もあったとか。


上の番所跡

b0273309_10303947.jpg
弁財天社の入口のところには、「上の番所跡」があります。江戸時代に佐賀本藩によって置かれた口屋番所の一つで、陶器に関わる人や物の出入りの監視と、特に近くの泉山磁石場の監視にあたる重要な番所でした。

雨のため少し進行が早くなり、予定を入れ替えて、昼食前に有田陶磁美術館を見ることにしました。


有田陶磁美術館
石倉を利用した美術館で、有田焼を中心に肥前の焼き物が展示されています。ここの見どころは、「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」(県重要文化財)という、口径が60㎝近くある大皿で、183040年代の有田皿山の焼き物の製造工程が描かれています。同種の大皿は、ハーグのメスタッフ美術館所蔵の大皿と2枚だけが世界で確認されているそうです。



         陶磁美術館内で説明中の八尋さん
b0273309_10304634.jpg




        ~~~~~~~~~~~~~          ~~~~~~~~~~~~
本日の昼食
b0273309_16544987.jpg

亀井鮨の「有田焼五膳」
b0273309_10305552.jpg


雨の中を歩き疲れてお腹も空きました。昼食は有田名物「有田焼五膳」です。町内のいくつかの料理店が同じ名前と形で出しています。それぞれの店の定食メニューをメインに、美しい弁当風小鉢五膳におかずを盛り付けしてあります。亀井鮨の有田焼五膳はチラシ鮨をメインとしたもので、みんな美味しく、1人ずつ違うかわいい器も楽しめるものでした。今度は別の店の違う五膳も味わってみたいものです。




天狗谷窯跡(国史跡)

天狗谷窯は、有田焼の陶祖とされる李参平ゆかりの窯です。古文書に白川の天狗にあったと記載されていたことから、昭和40年に考古学的発掘調査が始められ、その結果5基以上の登り窯が存在したと推定されました。ここの稼働は40年ほどで、一基の稼働は10年くらいと短いものでした。

昭和55年に国史跡に指定されています。




天狗谷の登り窯跡(現在はコンクリートで固めてある)


b0273309_10313603.jpg
天狗谷窯跡は、当初から磁器専用窯で、1630年代に開窯したことがわかっています。このため最初の窯が1630年代なら、泉山磁石場の発見もそれに近い時期と考えられ、良質で豊富な原料が発見されたことにより、磁器専業体制の準備がなされ、後の有田の産業的磁器生産の基礎となった重要な窯跡と位置づけられています。

              復元された砕石小屋


b0273309_10315027.jpg

天狗谷窯跡の前の川には、鹿威し風の、水車を利用して磁石を砕いて粉にするための砕石機具が取り付けられていた穴が残っていました。横に砕石小屋が復元されています。




いよいよ強くなる雨足に、八尋さんから提案があり、行程の変更をしました。鳥居までが有田焼の「陶山神社」と陶祖「李参平の碑」の見学は、階段や山道が危ないため残念ながら断念し、急きょ予定になかった「九州陶磁美術館」を見学することにしました。

佐賀県立九州陶磁文化館


               展示品の一部
b0273309_10315722.jpg
                                    (柴田夫妻コレクションではありません)



九州陶磁文化館は、世界的にも注目される焼き物専門の美術館で、肥前陶磁はもちろん、九州各地の陶磁器が展示されています。中でも「柴田夫妻コレクション」は柴田夫妻によって、体系的に収集された一万点を超える江戸時代の有田焼が寄贈されており、一年ごとに展示品を入れ替えて展示しているそうです。いろんなテーマで楽しめる工夫をしてあり、素人の我々でも楽しく鑑賞できました。





                  

      「有田焼のからくり大時計」の前で(開く1分前)         

b0273309_10320462.jpg



「有田焼のからくり大時計」

30分ごとに盤面が左右に開いて
季節のテーマ曲(当日は「早春賦」)を奏でながら陶器の子供たちが動くか・ら・く・り
2時30分にからくりをちゃんと見学して解散です。


途中の「唐津 うまかもん市場」で、お土産を買い、三々五々家路につきました。

参加の皆さんお疲れ様でした。







今回雨の中を用意周到で楽しくご説明いただいたガイドの皆さま、本当にありがとうござました。
八尋さんの「有田をもっと好きになってください」のお別れの言葉が印象的でした。



[PR]
by Fukuoka-heguri | 2014-05-20 20:28 | 史跡巡り

2014年5月度 定期ガイド

20145月度 定期ガイド
5月17
日(土曜日) 野方・飯盛・吉武高木地区 歴史・自然探訪コース  

スケジュール
受付(野方バス停)、 
野方遺跡公園にて平群倶楽部会長挨拶、コース概要説明、準備運動
    ↓
野方遺跡・住居跡展示館
    ↓

大村桜・松林飯山生誕記念碑
   ↓
飯盛神社飯盛神社中宮・昼食飯盛文殊堂
   ↓
吉武高木遺跡
    ↓

  解散

野方遺跡公園で挨拶・準備運動  
今日の早良野は新緑薫風の絶好のウォーキング・歴史探日和です。
今回の参加者は自然と健康を愛し歴史ロマンを訪ねる老若男女約30名。

約7キロのウォーキングのため入念に準備体操を行います。
                   

b0273309_19244174.jpg

野方遺跡
吉野ヶ里遺跡よりも早く、昭和50年に国指定史跡になった弥生時代後期から古墳時代前期の竪穴式住居址で特に弥生時代の住居は大小2つの溝を巡らしています。
大きな溝は直径約100mの楕円形で東側は十郎川に流れ込むように造られており、環濠の内側には竪穴式住居址が7軒ありました。土器、石器のほかサメ、タイ、スズキ等の魚類の骨や貝、鳥類、獣骨などが出土し、20m×30mの小さな環濠に囲まれた場所からは穀物倉庫と推定される掘立柱構造の建物址があります。
この環濠は、吉野ヶ里のような防御用ではなく、区画の為の施設のようです。また近くの石棺墓からは銅鏡の破片や勾玉などが出土しました。

野方遺跡住居跡展示館

弥生時代後期と古墳時代前期の住居跡が、発掘されたままの状態で保存されている展示館です。

弥生後期、
 b0273309_19250545.jpg
古墳前期です。b0273309_19252245.jpg
 

今回は参加者30名とガイドを含めると計40名の大きな団体となりました。
迷子と交通事故防止のため隊列を組んでのウォーキングです。
子供たちから「ガンバレッー」と激励の声が飛んできます。

          歴史ロマンに浸り、街や自然の風情を語り合いながら歩を進めます。

b0273309_19253924.jpg

野方遺跡から飯盛神社までの途中に、移植された大村桜と松林飯山の生誕記念碑があります。

ここで小休止をとって飯盛を目指します。


「大村桜」  
ここ羽根戸町が、幕末の大村藩で活躍した松林飯山の生誕地である縁で、大村市から贈られた、国指定天然記念物です。
                                     <2012417日撮影した大村桜>

b0273309_19254790.jpg


~~野方遺跡から約50分かけて飯盛神社に到着です。

飯盛神社

平安初期の貞観元年(859年)の創建といわれる由緒ある神社です。
御祭神は誉田別命 伊邪那美命、玉依姫命などです。
一旦
南北朝の戦乱(1353年)で消失しましたが、福岡藩二代藩主黒田忠之が1650年再建しました。
飯盛山の山頂にあった上宮一帯は九州最大の経塚遺跡でもあり永久2(1114)年銘の瓦経が出土しています。

214日・31日の粥占い、3月下旬の春分の節会小笠原流草鹿式、4月第三土曜日の夜神楽(春季例大祭奉祝神楽祭)、109日の流鏑馬などの有名な神事があります。

b0273309_19255517.jpg

飯盛神社中宮
飯盛神社中宮も本殿と同じく南北朝の戦乱(1353年)で焼失し、平成14年(2002年)に650年振りに再建されました。
日本一大きなアルミ合金製の大鳥居や、飯盛神社に伝わる宋風の狛犬のレプリカがあります。
本物は小郡の九州歴史資料館で見ることができます。

b0273309_19260289.jpg
狛犬は、本来、阿形(あぎょう)の獅子と、頭に一角をつけた吽形(うんぎょう)の犬との一対が、
正式とされていますが、この狛犬は両方とも獅子で、阿形は雄で毬をもち吽形は雌で子獅子を抱いています。これは中国宋の時代の形式だそうで、宋風狛犬と呼ばれるものだそうです。

b0273309_19261586.jpg

b0273309_19261021.jpg


飯盛文殊堂

飯盛神社の7つの神宮寺の一つで本尊の文殊菩薩は鎌倉時代の元弘3(1333)年から9年の歳月をかけて彫られたもので市の重要文化財です。獅子に乗った菩薩は全高216cmのヒノキの寄木造りです。作者は堪幸法印です。
文殊菩薩は知恵・学問の神様。このあたりには明治時代には「学制発布」により、飯盛小学校が建てられました。

b0273309_19273129.jpg b0273309_19262241.jpg

文殊堂世話人さんに特別に開帳していただいて文殊菩薩像を拝観しました
b0273309_19263261.jpg



~~軒先の花々や麦秋の光景が拡がる田園を愛でながらゴールの吉武高木遺跡へ向かいます。

b0273309_19270020.jpg
b0273309_19265149.jpg

吉武高木遺跡

昭和56(1981)から61(1986)の調査で22002000年前(弥生時代)のものとみられる王墓クラスの墓地群(約2000基の甕棺墓や木棺墓)、大型掘っ立て柱建物跡が出土しました。
木棺墓の一つからは銅剣、銅鏡、勾玉の「三種の神器」が見つかっています。これまで伊都国王の墓とみられる三雲南小路遺跡、井原鑓溝遺跡(共に前原市)や、須玖・岡本遺跡(春日市)などからも「三種の神器」が出土していましたが、弥生時代前期の古墳から揃って出土したのは始めてで「最古の王墓」であると思われます。
またすぐ近くにある大型掘っ立て建物は「祖霊祭祀のための建物」で「王墓」の遥拝処と考えられます。

b0273309_19271776.jpg

我が国最古の王墓、幻の早良王国とマスコミに騒がれ、日本の「クニ」の成立過程がうかがえる貴重な遺跡として1993年国史跡に指定されており、現在史跡公園化が進められています。
その基本テーマは「国の成立と展開」だそうです。平成28年に全面公開を目指しています。

         昨年秋一部がオープンした「やよいの風公園」


b0273309_19272413.jpg

緑のグラーデーションの飯盛山を背景に記念写真を撮り、解散です。
またお会いできる日を楽しみにしています。



[PR]
by Fukuoka-heguri | 2014-05-17 20:24 | 定期ガイド