史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

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4月度・史跡巡り

2015年 4月度史跡巡り
4月21日(木)
遠賀郡遠賀町・芦屋町の散策、参加者11名

史跡めぐり行程 
出発 (8:30)⇒遠賀町役場 ⇒ 遠賀町民族資料館 ⇒ 島津・丸山古墳 ⇒
昼食(マリンテラスあしや)⇒ 芦屋釜の里 ⇒ 芦屋歴史の里 ⇒ 岡湊神社 ⇒ 解散(17:00)
   
今回は、福岡の北東部に開けた日本海沿岸の平地「オカ」(オンガの由来とか)や、九州で2番目に大きい遠賀川の流域と河口の湊に栄えた特異な歴史をもつ、「遠賀町と芦屋町」を訪問しました。朝方はちょっとひんやりの好天に恵まれ、3台の車で戸切を集発,約80分で遠賀町役場に着きました。

遠賀町民族資料館
平野さんの説明(右は珍しい双口壺)
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遠賀町役場で案内者の平野学芸員と落ち合い、見学スタートです。平野さんは西区の今宿のご出身とかで、身近に感じられました。
遠賀町ふれあいの里センター内の遠賀町民俗資料館は、平成12年に設立され、昔の農家や蔵なども隣接して再現されています。遠賀町(オンガチョウと読む)は、豊かな水と自然に恵まれ、2万年前から人々が住み続け、様々な文化を残している。中でも「遠賀式土器」として有名な初期の弥生農耕文化以後、2千数百年にわたる農耕文化は当町の誇りとなっており、出土土器や石器などと共に各種の民俗資料が展示してありました。
大部分を占める昔の農耕器具や機織り具、生活用具などは、見学には地味過ぎかなと心配しましたが、それぞれ昔は家にもこんなのがあったとか使ったことがあるとか盛り上がり、皆さん充分にノスタルジアをかきたてられていました。
写真右にある珍しい双口壺(ふたくちつぼ)は、弥生前期末頃(約2,200年前)の貯蔵穴から出土したもので、左右対称の貝殻で描かれた文様があり、独特の二つの口は、神と人が同じ器で酒食を共にした祭器と考えられているそうです。

 [古文書などの整理保管室]
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普段は入れないニスの匂いも新しい、古文書などの整理・保管室も開けていただき、当町出身の添田壽一(そえだじゅいち)が、1914年大隈内閣時の鉄道院総裁就任時に着た「大礼服と儀仗」(寄贈されたもの)を見せていただきました。

島津・丸山古墳

島津・丸山古墳入口(箱式石棺)
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遠賀川下流域の支流に囲まれた島津・丸山歴史自然公園には、前方後円墳の丸山古墳を中心とする5基の方墳、円墳などの古墳群が並んで保存されています。いずれも4世紀代前半から中頃のものとみられています。
[丸山古墳で筍掘り]
b0273309_1315452.jpgかふかの土壌にタケノコが出始めており、皆さんは古墳の整備手伝いも兼ねて?タケノコ掘りに夢中でした。抱えきれないほど持って帰る人もおり、これから筍を見るたびに、この古墳を「タケの子墳」として思い起こすことでしょう。

ここで平野さんとはお別れして、芦屋町に向かいました。丁寧な説明ありがとうございました。



~~~~~~~~~本日の昼食~~~~~~~~~~~~
マリンテラスあしや 天ぷら定食(1,050円)
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芦屋町魚見公園の国民宿舎内にあるレストラン「マリンテラスあしや」です。2階のレストランの窓から見える芦屋海岸や航空自衛隊芦屋基地飛行場などを一望にしながら、眺望と空腹が食欲をそそり、みんなおいしくいただきました。
食後は、近くの展望台からの雄大な眺望を楽しみました。b0273309_13121416.jpg


芦屋釜の里
芦屋釜の里(長屋門)
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レストランを下って、同じ公園内の一角に芦屋釜の里はあります。
南北朝時代頃から制作が始まり、室町時代には茶の湯釜の名器として一世を風靡し、江戸時代初期には終わったといわれているが、その芸術性・技術力の評価は高く、国の重要文化財に指定されている茶の湯釜9個の内8個は芦屋釜というから驚きです。

4,200万円の「芦屋霰地真形釜」
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今重文指定の釜はめったに市場に出ず、最近たまに出たもので2億円の値がついたそうで、町として何とか一つは本物を入手したいと買い戻したのがこの「芦屋霰地真形釜」で、これで4,200万円だったそうです。
釜の里内は資料館の他、復興工房や大小の茶室なども配されています。3千坪の日本庭園に今はつつじや菖蒲、藤などがそちらこちらに花をひろげており、水琴窟の幽玄な音も鑑賞しました。

芦屋歴史の里(芦屋歴史民俗資料館)

歴史民俗資料館(山田学芸員の説明)
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資料館内は、学芸員の山田さんに案内していただきました。芦屋町は、響灘にそそぐ大河の河口に開けた町だけに、人と自然が織りなしてきた多くの歴史を秘めており、全国的に有名な山鹿貝塚などの遺跡も多く、記紀にも名を留める「筑紫の岡津」として知られています。中世には鋳物師が活躍し、江戸時代には伊万里焼を売り歩く「旅行(たびゆき)商人」も現れ、港町は「芦屋千軒・関千軒」と称され栄えた町だったそうです。資料館は、生徒が減り廃校になった小学校の跡地に建てられたもので、現在は過疎の町になりつつあるということでした。
芦屋町山鹿の出身である「山鹿素行」展が開催されており、むしろこちらに力が入った説明で、平戸藩や赤穂浪士との関係など興味深い説明があり、他の展示見学は駆け足になりました。


岡湊(おかのみなと)神社

岡湊神社(林田宮司の説明)
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最後の訪問先「岡湊神社」では、第49代の林田宮司さんに大歓迎していただき、選挙カーのスピーカーの音がうるさい中、椅子に座って詳しい説明を聞きました。
ちなみに筥崎宮の宮司さんも49代とか。
当神社の歴史は古く、大倉主命等の産土神が主祭神で古来「大倉社」と称した。後に神武天皇も祭神としているが、日本書紀によれば、「紀元前7年の神武天皇東遷途上に崗水門(おかのみなと:芦屋の古称)に1年余滞在された、その場所が岡田の宮である。」とされている。
1586年の島津と大友軍の交戦で社殿・神宝はことごとく焼失し、1645年に再建したがその後も火災にあい、現社殿は昭和9年に再建されたものだそうです。

なんじゃもんじゃの木
b0273309_1328562.jpg境内にたくさんある「なんじゃもんじゃの木」も花が咲きはじめていました。下旬から5月初めが見頃で、満開時はかき氷のミルクのようになるようです。ライトアップもされます。
道路を隔てた隣の「千光院の大蘇鉄」は、県指定天然記念物で島原の乱(1637年)のとき黒田家家臣が記念に原城から持ってきたものだそうです。

神社境内の石塔に刻まれた名前
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境内の石塔には、肥前伊万里寄付連名の彫りがあり、ここにも「旅行商人」と伊万里焼の関わりが伺える証拠が残っていました。


岡湊神社で記念撮影
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拝殿の前で記念写真を撮ったあとも、宮司さんの説明は続きました。
熱心に対応していただきありがとうございました。





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今回の見学で、遠賀地区の歴史上で果たした役割がよくわかりました。優良な湊を持ち、唐津、糸島や博多に連なる日本海沿岸の海洋交易ネットワークの重要拠点として栄え発展したが、海退等で次第に浅くなり干潟になった河口は徐々に田地に開発され湊は機能しなくなり、他の交通機関の発達もあって、その中継基地としての役割も終えていった・・・。

今回のおみやげは、昼食の「国民宿舎」の売店で済まし、そのまま解散です。
いつものように計画通りのぴったりの行程で、17時ちょっと過ぎに帰り着きました。
有意義で楽しい史跡めぐりでした。
ご参加の皆さん、お疲れ様でした。
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by Fukuoka-heguri | 2015-04-21 21:42 | 定期ガイド