史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

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2016年 10月 平群 研修旅行

2016年 10月 平群 研修旅行

2016年 10月25日(火)8時00分~26日(水)18時05分  曇り一時雨
  ~~~ 壱岐島の史跡めぐり ~~~   参加者 7名
研修行程 
  [25日]: 博多港出発(8:00)⇒ 郷ノ浦港(9:10)⇒ 壱岐国博物館 ⇒ 原の辻ガイダンス
⇒ 原の辻遺跡 ⇒ 勝本城址 ⇒ 昼食勝本「よしもと」⇒ 聖母宮 ⇒ 猿岩 ⇒ 黒崎砲台跡
⇒ 壱岐の蔵酒造 ⇒ 岳の辻展望台 ⇒(15:35)宿泊 郷ノ浦町民宿「滝の上」
[26日]: 掛木古墳 ⇒ 水神社 ⇒ 百合畑古墳 ⇒ 笹塚古墳 ⇒ 双六古墳 ⇒ 鬼の窟屋古墳 ⇒ 国片主神社(へそ石)⇒ 月読神社 ⇒(追加)壱岐神社 ⇒ はらほげ地蔵
⇒ 安国寺 ⇒ 住吉神社 ⇒ 賽神社 ⇒ (13:40)直会 和風レストラン「海岸」
⇒ 郷ノ浦港(16:55)⇒ 博多港(18:05)(解散)


初日は朝から曇り空で、一時雨の予報もあり心配されましたが、降られたのは猿岩見学時の一回だけ。うまく雨の合間を縫って行動でき、2日目も帰るまで傘は不要で暑くもなく、良い旅日和でした。
7時半には博多港に集まり、久々の泊旅行に期待が高まります。ジェットフォイルで1時間余り、穏やかな海を渡ると郷ノ浦港には、2日間運転もお世話になる民宿「滝の上」のご主人がお待ちでした。早速マイクロバスに乗り込んで、最初の見学地へ向かいました。
端から端まで30分程度の狭い壱岐島の其処彼処に、縄文から中近世までの480か所以上(長崎県の13%)という、興味深い史跡が散りばめられています。まさに「日本の故郷」を感じさせる島です。予定の時間よりかなり早く行動できたので、当初の予定になかったところもたくさん回っていただきました。おかげで2日間同じ道を何度も通りながら、島の隅々まで歴史を堪能できました。
夜は民宿で宴会。刺身の盛り合わせやアワビの蒸し焼きサザエの刺身と壺焼き付きなど、非日常的な豪華な食事に舌鼓を打って懇親を深め、後は全員のカラオケで盛り上がりました。
壱岐が初めての人は二人だけでしたが、各所の案内ガイドさんもベテランばかりで楽しく、リピーターも改めて楽しめたようです。大変楽しく美味しく有意義な研修旅行でした。  

[ 25日]

一支国博物館

車で石田町の方面へ移動します。2010年開館の新しい市立「一支国博物館」は、見晴らしの良い丘の上に建ち、長崎県の埋蔵文化財センタも同居しています。縄文から近世までの壱岐の遺物を線で結んで、通史的に学習できる博物館となっています。ボランティアの会の田口さんの案内で、マリンブルーの館内を見学しました。この時間だけ外は雨だったようです。

一支国博物館
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人面石
ムンクの叫びに似た「人面石」はここしかなく、
先祖の霊を鎮める儀式に使用されたと考えられています。
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原の辻ガイダンス

原の辻ガイダンス
原の辻ガイダンスでは、原の辻遺跡を歩く前に、
発掘の歴史や史跡の四季の風情を紹介しています。
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ジオラマで説明
壱岐研究会の伊佐藤さん(女性)の案内で、まず原の辻遺跡の概要をレクチャーしていただきました。
そのあと車で少し移動して、復元された遺跡公園を歩きます。近くの畑の中に、弥生時代の船着き場の跡のポールが立っていました。

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原の辻遺跡(国特別史跡)

原の辻遺跡は、一支国王都復元公園として整備されています。植栽も当時のものです。壱岐は3世紀末の魏志倭人伝に「一支国」として登場しており、原の辻は何重もの環濠に囲まれた環濠集落で、その王都と考えられています。日本列島だけでなく、半島や大陸の品々が多数出土し、交易や交流の中継地・拠点として栄えていました。

主祭殿
公園内には、住居や王の館、倉庫・物見櫓などが多数復元され、当時の暮らしぶりを感じることができます。
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勝本城址(城山公園)(国指定史跡)
     
勝本城跡石垣
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勝本港を見下ろす丘の上の勝本城は1591(天正19)年、豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて平戸藩主松浦鎮信に築城させた出城で、一ノ門と二の門の間の枡形と、左右の石垣が残っています。


~~~~~~~ 昼食 ~~~~~~~
 
勝本町「よしもと」
           刺身と天ぷらの昼定食
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昼食は定食でしたが実に味がよく、全部おいしくいただきました。
潮の香は、食欲増進に効果があります。


聖母宮(しょうもぐう)
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聖母宮は、奈良時代初期の創建とされる神功皇后を祀った神社で、勝本の総鎮守となっています。
旧社名は香椎宮といい、筑前香椎宮との関係が深いようです。ここから南へ下ります

猿岩
b0273309_14552927.jpg猿岩に着くと、急に雨風が強まり、傘もさせない程でした。サルの鼻息だったでしょうか。猿岩は、湯本湾の西につき題した黒崎半島の突端にある奇岩で、海蝕によって出来た高さ48mの玄武岩の岩塊です。
まさにゴリラ! 遠くを見て何思う?


黒崎砲台跡
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猿岩駐車場から1分のところに東洋一の黒崎砲台跡があります。廃艦となった戦艦「土佐」の主砲があったといわれます。射程距離は対馬との中間位までとか。昭和8年に島民を動員して築かれたそうですが、一度も使ったことはなく終戦となり、25年には解体されました。

(有)山の守酒造
途中、明治32年創業の山の守酒造場に立ち寄り、見学と試飲をしました。昔ながらの甕づくりの麦焼酎「山の守」を製造・販売しています。島内7つの蔵元の内の一つです。
お土産にする人も。

岳の辻展望台
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壱岐最高峰・岳の辻(213m)の展望台からは、壱岐全島と眼下に郷ノ浦の街や大島・長島・原島の3島が一望できます。天気がよければ対馬も見えるということです。



展望台と烽火台跡
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展望台のすぐ脇に烽火台の跡があります。元寇のためという説と白村江の戦い後に天智天皇が対唐・新羅の来襲を恐れて造ったという二説があります。外径4m(内径2m)のドーナツ状の烽火台と脇には煙突のあるかまど状の烽火台もあり、火と煙を昼夜で使い分けしたとも思われます。


   ~~~~~~~  宿泊 民宿「滝の上」 ~~~~~~~~~
豪華な刺身とアワビの夕食
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[ 26日]

掛木古墳(国史跡)

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2日目の最初は掛木古墳です。
掛木古墳は、6世紀末頃の円墳で、当時は直径30mあったといわれる。県内唯一「くり抜き式家形石棺」が置かれている。内外・天井で使われた石は、驚くほど巨大です。

壱岐風土記の丘 古墳館
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国史跡「壱岐古墳群」(双六、対馬塚、兵瀬、笹塚、鬼の窟、掛木)に関する位置情報や古墳築造様子などを模型で詳しく紹介しています。裏手には18世紀の壱岐の百姓武家屋敷(オモヤ)を現地に移築し、まわりにインキョ、ホンマヤ、ウシノマヤなどを復元しています。

水神社
近くの水神社にも寄りました。
樹齢数百年の大銀杏がありました。
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百合畑古墳群
    百合畑古墳園
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6世紀末から7世紀初めの古墳群で、島内10基の前方後円墳のうち5基がここにあります。ちなみに壱岐島内には256基(全長崎県の61%)で、島の中央部亀石地区に91基が集中し、そのうち20基が百合畑古墳群にある古墳密集地帯です。首長クラスの一族係累の墓と思われます。


笹塚古墳(国史跡)
百合畑からも歩けますが、車で入口まで迂回しました。山の中にありました。円盤状の台座に直径約40mの円墳がのった二段築造の古墳で、亀の形の金銅製品初め162点の出土品は、国の重要文化財になっています。

双六古墳(国史跡)

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6世紀中頃の、全長91mを誇る県下最大の前方後円墳です。終末期の前方後円墳は概して前方部が大きく高いとか。大きな石材を積み上げたドーム型の天井に、当時の技術の高さが偲ばれる古墳です。


鬼の窟古墳
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6世紀後半から7世紀前半の直径45m、高さ13mの大型円墳で、前室・中質・玄室の三室と羨道からなる16.5mの石室は島内最長です。壱岐で横穴式石室古墳のことを鬼の窟というそうです。 
郡司 壱岐直の墓でしょうか?


国片主神社
国片主神社は、式内社で、祭神は少彦名命。古来国分天満宮といわれていました。神社の建つ地は、律令時代、郡司壱岐直氏の居館址でした。

 国片主神社

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鳥居くぐり

境内の3つの小さな鳥居を潜れれば、
それぞれ家内安全、安産、その他諸々の御利益? 
b0273309_15525243.jpgへそ石
すぐ隣には壱岐の中心?道標となった「へそ石」と「顎かけ石」があります。
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月読神社
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月読神社は、国片主神社から約5百m位のところです。御祭神は、中 月夜見尊、左 月弓尊、右 月讀尊、いずれもツキヨミ? 鎮座時期は不明ですが、「京都の松尾大社の月読神社が487(顕宗3)年に壱岐の県主の先祖忍見宿祢が壱岐から分霊した」とあるので、それ以前に存在していたことになり、かなり古い。
神社の始まりのような神社です。



壱岐神社(少弐資時の墓)
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まだ時間も早く、民宿ご主人の計らいで、予定になかったところも案内していただきました。まず芦辺町に足を伸ばし壱岐神社を訪ねました。壱岐神社は、元寇弘安の役で戦死した少弐資時を祀った、昭和19年造営の壱岐で最も新しい神社です。神社内には、元寇の碇石が展示してありました。

元寇碇石
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少弐資時の墓
裏手の少弐公園には、資時の墓があります。
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はらほげ地蔵

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清石浜の美しい海岸線を走り、八幡浦の海中(満潮時)に建つ六地蔵は、「はらほげ」は、腹部を丸くえぐられているので名付けられた。地獄・餓鬼・人間・天などの六道で群衆を苦しみから救うとされています。以前は近くの海中にあったものを港湾整備でこちらに移設したものだそうで、干潮時は全身が干上がります。


左京鼻
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左京鼻は、総延長約1㎞の海蝕崖で海中には細い柱を束ねたような奇岩が突き出ています。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱」とされています。

安国寺
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1338年足利尊氏と直義は元弘の乱以来の戦死者の冥福を弔うために、従来あった海印寺を安国寺としました。室町時代の貴重な宝物を所蔵し。中でも高麗版大般若教は国の需要文化財です。御神木の杉が見事でした。ここまでが予定外でした。


住吉神社
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住吉三神をご祭神とする住吉神社は、社伝によると三韓征伐を成し遂げた神功皇后が帰途郷ノ浦触に上陸して祀ったという。(日本最古の住吉神社)その後神託により現在地に遷座。明治の社格では国幣中社(博多住吉は官幣小社、尾坂が大社)。鬱蒼とした大木が繁る境内は、静寂と荘厳に満ちています。境内の池からは銅鏡が見つかっているということです。


賽(さい)神社
b0273309_1621955.jpg昼食会場の隣にも神社がありました。
賽神社は、天照大神が天の岩戸に隠れたとき、裸で踊って岩戸を開けさせたというアメノウズメがご祭神です。女性神ということで拝殿内外に巨大な男性のシンボルが祀られ、安産・縁結び、夫婦和合などの祈願で有名とか。隣で見学のご老人が、これ見て自信を無くしたと大声で話していました。





待合室にて
b0273309_16255651.jpg これで全行程完了。港近くの和風レストラン「海岸」にて、遅い昼食を兼ねた直会で旅行の無事を祝しました。
帰りもほぼ満員の乗客でしたが、行きと同じく穏やかな海路を帰途につくことができました。



  ~~~~~~~~~~~~~
博多港に着いたときは停泊中の大型クルーズ客船の明かりがまぶしく感じるほどに暗くなっていました。
ターミナルであいさつの後解散しました。
盛りだくさんの史跡とマイクロバスの乗り降りで、皆さんお疲れ様でした。
幹事の西久保さん・内村さんには、もろもろの手配やバス内でのガイドまでお世話様でした。
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by Fukuoka-heguri | 2016-10-26 18:49 | 研修旅行

2016年 10月 史跡めぐり

2016年 10月 史跡めぐり
筑紫野市周辺の散策  
10月18日(火)8時30分~16時00分 晴れ
参加者 5名


史跡めぐり行程 
出発 ⇒ 筑紫神社 ⇒ 原田宿 ⇒ 五郎丸古墳 ⇒ 昼食「福龍」
⇒ 武蔵寺と周辺の史跡 ⇒ 筑紫野市歴史博物館 ⇒ 解散 

数日来の秋涼からやや強い日差しが戻る、秋晴れの良い天気となりました。
筑紫神社には約1時間も早く到着しましたが、本日のガイドの中村さんが既に境内でお待ちでした。筑紫の国名の語源ともなったと言われる神社と、神社の周りに伸びる長崎街道と原田宿、装飾古墳で有名な五郎山古墳見学の後は、二日市温泉街で昼食をとりました。
午後は天拝山歴史自然公園で、「つくし郷土会」の名本さん・岩下さんのお二人と落ち合って、現存する九州最古の寺と言われる武蔵寺とその周辺を散策しました。最後に筑紫野市歴史博物館では、学芸員の早瀬さんの案内で企画展「ちくしの博覧会」まで見学でき、今日歩いた筑紫野の歴史の総まとめができました。
福岡市からほど近い筑紫野市ですが、大宰府にも近い交通の要衝で、温泉地としても栄えた華やかな地域には、実に多様な歴史と伝説が織りこまれており、新しい発見がいくつもありました。ガイドの皆さんは、いずれもベテランの方ばかりでわかりやすく、ウンチクや裏話も楽しいものでした。ありがとうございました。
 
筑紫神社  
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筑紫神社は、筑紫という国号の語源になったといわれる歴史ある神社です。諸説あるそうですが、古代は筑前・筑後・肥前の三国の国境に位置するこの地で、荒ぶる神が峠を往きかう人を取り殺すので「命尽す(つくす)の神」と呼ばれ、後に「筑紫(つくし)の神」として祭られたら平穏が訪れたというのが伝説の一つです。奈良時代以前からの鎮座と思われますが、今は他に玉依姫、坂上田村麿も祭神となっています。鎌倉時代には、地頭職の筑紫氏が社司を兼ねていました。年中行事では、飯盛神社と同じ、「かゆ占い」(3月15日)が有名です。今年の出来予想は、中の上となっていました。

ガイド中村さん(中央)の説明
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中村さんは、普段は九州歴史資料館で活動をされているとかで、筑紫野市の方は個人的な繋がりで、協力されているそうです。


金木犀と十月桜
本殿横には芳しい金木犀と珍しい十月桜が
並んで咲いていました。
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元禄の鳥居
元禄12年(1699)に建てられた古い石の鳥居で、
「元禄の鳥居」と呼ばれています。
額の文字は、貝原益軒の要請で、京都の花山院内大臣定誠が書いたものとか。
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長崎街道 原田宿

神社をとりまくように長崎街道が巡っています。山家宿と肥前(鳥栖)の田代宿の中間に位置し、筑前・筑後・肥前の三国境の宿場町のため、西搆口の横に関番所が置かれ、厳重な手形改めが行われました。島原の乱(1638)の鎮圧のため松平信綱一行が50騎1300人余の軍勢で宿泊した記録があり、この頃には整備されていたと考えられます。幕末にはオランダ使節に随行した、ドイツ人医者のケンペルやシーボルトも通ったことを日記に残しています。博多街道(大宰府参詣道)への分岐が筑紫神社に残っています。


神社をとりまくように長崎街道が巡っています。山家宿と肥前(鳥栖)の田代宿の中間に位置し、筑前・筑後・肥前の三国境の宿場町のため、西搆口の横に関番所が置かれ、厳重な手形改めが行われました。島原の乱(1638)の鎮圧のため松平信綱一行が50騎1300人余の軍勢で宿泊した記録があり、この頃には整備されていたと考えられます。幕末にはオランダ使節に随行した、ドイツ人医者のケンペルやシーボルトも通ったことを日記に残しています。博多街道(大宰府参詣道)への分岐が筑紫神社に残っています。

長崎街道
神社の階段横を長崎街道が通ります。
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整備された長崎街道
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神社正面に伸びる街道はもともと直線だったそうですが、暴走族対策?でカーブがつけられ、きれいに整備されています。旧3号線だったそうですが、整備したためかえって、今は通る車もなくなってしまったとか。古い建物も少なく、街道の面影はほとんど留めていません

伯東寺境内の臼

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伯東寺境内の臼街道筋の伯東寺の境内には、原田宿名物の「はらふと(腹太)餅」をついていたといわれる、花崗岩をくり抜いた小さな石臼が伝わっています。「はらふと餅」は、丸くふっくらして中に塩餡(後には砂糖餡)が入った薄皮の餅だそうで、一つだけで腹いっぱいになり、大腹餅ともいわれるようになり、現在の大福餅の語源になったものです。




五郎山古墳(国史跡)
グビー選手の名前のような五郎山古墳は、昭和22年(1947)に山の地主さんによって偶然発見された、玄室の岩に見事な装飾壁画が施された古墳です。古墳館は、たまたま遠足がてらの大勢の幼稚園児の一行と重なったので、現地を先に見学することにしました。

 五郎山古墳入口
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五郎山古墳は、市内が一望できる小高い山の上にあり、一帯は公園になっています。途中に段を持つ二段築成の円墳で、6世紀後半のものといわれます。直径約35mのほぼ正円に近くなっています。裾には幅2mの溝が巡り、内側に1.5mのテラスが設けられています。全長11mの横穴式石室で、羨道は高さが前室側1.4m、入口側は0.9mと低くなっています。
今週末(22日)には石室内部が公開され、実物を見られるところでしたが、後で模擬体験します。

五郎山古墳館    
幼稚園児と入れ替わり、古墳館のビデオで少し勉強しました。古墳石室のレプリカが原寸大で造られており、現物以上に明確な壁画を鑑賞できました。

狭い羨道入口
入口は這わないと入れない低さで、老体には腰や膝に負担がかかります。
次第に高くなりますが、奥には鮮やかな装飾壁画が広がっていました。
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装飾壁画
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壁移動後の入口
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入退室に苦労したのに、見学の後で、電動での壁の移動を見せてもらいました。高齢者や体の不自由な人は立って、また車椅子でも入れるようになります。
ここで中村さんとはお別れです。これから自分も歴史講座の勉強に行かれるとか。お忙しい中
ありがとうございました。


~~~~~~~~本日の昼食~~~~~~~~~~
               中華料理「福龍」
              八宝菜定食(730円)
  
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昼食会場は、二日市温泉街(湯町)  
中華にしてはこってりせず比較的あっさりとした味でした。   



武蔵寺(ぶぞうじ)跡(県指定史跡)


天拝山歴史自然公園
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風情のある万葉の時代を思わせる、公園内の池に突き出た舞台では、歌会などいろんなイベントが行われるそうです。

藤原虎麿銅像
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舞台正面に、これから行く武蔵寺創建の伝承を持つ、長者藤原虎麿の銅像が立っています。銅像脇の長廊下の屋根の下で、「つくし郷土史会」の名本さんと、元会長の岩下さんのお二人がお待ちでした。



 武蔵寺山門
早速山門前で、まず岩下さんの説明
b0273309_1620997.jpg「椿花山武蔵寺」は奈良時代創建と思われるが不明な部分が多いそうで、縁起絵図によると、武蔵(むさし)村に住む藤原虎(麿)という長者が山にでる怪火の正体を確かめに山に入り、現れると弓矢で射落とした。その夜の夢枕で神将が現れ「射止めたのは薬師如来の霊で矢は霊木に刺さっているのでその木で薬師如来と十二神将の像を作り建物を建てて安置すれば、国や氏族が繁栄する」とのお告げで山へ行ってみると椿の大木に矢が刺さっていたので言われるとおりにし、堂塔を建立して末永く信奉した。山号「椿花山」もその仏像の原木に由来しているといわれている。


長者の藤
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満開時のイメージ
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境内にある、樹齢800年ともいわれる「長者の藤」(市の天然記念物)も、虎麿が「堂塔の盛衰はこの藤の栄枯にあらん」と誓って植えたと言われ、藤原の「藤」の木を植えたとも。毎年5月頃になると見事な花房で彩られ、参拝客で賑わうそうです。



武蔵寺は、南北朝から戦国時代(島津軍)までの度重なる戦禍で荒廃しましたが、裏山からは大治元年(1126)銘の入った経筒が出土しており、平安時代後期には栄華を誇り、大伽藍や、12寺と多くのお堂や経蔵、仁王門などがあったと伝えられています。

自然石梵字板碑

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山門横の、市指定文化財の「自然石梵字板碑」には、薬師如来を意味する梵字「バイ」が刻まれ、貞和3年(1347)の銘がある。これも虎麿長者の墓といわれています。奥の建物は、糸島生まれの南画家藤瀬冠邨の晩年の画室・半禅居だったそうです。


般若心経古塔
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境内左手に行くと、経が刻まれた石塔が並んでいます。左が全国でも数少ない般若心経の古塔。筆は黒田藩家臣で儒医の上村樗。実に石に彫られたとは思えないほど美しい字体です。右は比較的新しい般若心経の一字一石経塔です。

御自作天満宮
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御自作天満宮のご神体は、菅原道真が自ら刻んだ、自分の等身大木造座像といわれる。天満宮は1586年の岩屋城合戦で焼かれたが、ご神体の頭部だけ運び出され、元禄年間に福岡藩武蔵領主立花増弘が修復し社殿を建立して祀ったものといわれます。

紫藤の滝と古石塔

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大宰府に左遷された菅原道真が天拝山に登って無実を訴えた際、この滝で身を清めたといわれる。左手にはその時衣を掛けたという「衣掛の岩」があります。右の古塔(市有形文化財)には正平20年(1365)の銘が彫ってあります。

自詠菅公石碑

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道真が詠んだ歌碑で、28文字の書体の中に18羽の鳥が描かれているそうです。鳥になって早く京へ帰りたいとの思いがこもる。「鳥文字」「鳥点の筆法」というそうです。すべての鳥は確認できませんでした。大宰府天満宮にある実物は13羽とか。

五卿の歌碑

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武蔵寺山門脇に建つ石の歌碑。長州落ちした五卿の1人が詠んだもの。三条実美ら五卿は、大宰府遷座の際、筑前勤皇党の中心人物だった福岡藩月形洗蔵(後に藩の弾圧で投獄処刑)の案内で、天拝山や二日市温泉を訪れている。福岡藩の維新後の不遇は、勤王派弾圧や贋札事件によるが、洗蔵は後に顕彰されています。名本さんの締めの講談を面白く聞きました。




筑紫野市歴史博物館


ガイドのお二人にもお付き合いいただいて、最後の見学地「筑紫野市歴史博物館」に向かいます。博物館は、周辺で発掘された弥生時代の人骨や副葬品、長崎街道関連の古文書など原始から近世までの郷土資料を常設展示しています。今回は「「ちくしの博覧会」(指定文化財からたどる筑紫野
市の歴史と文化)の特別企画展が開催されていましたので、館の早瀬学芸員の案内で説明付きの見学ができました。

早瀬さんの解説
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筑紫の黎明から、やまの歴史と文化、戦と信仰、街道と宿場、近代の幕開けの構成で展示されており、わかりやすい説明で、本日の散策コースの総まとめがうまくできました。

武蔵寺経塚
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大宰府近郊は、四王寺山を中心に経塚密集地帯であるが、この中で最も古い経塚は武蔵寺経塚の中の一つだそうです。残念ながら盗掘されて経塚も個人の所有になっているが、その経筒には寛治8年(1094)の銘があるとか。これ以上の盗掘を防ぐために、発掘調査が三次にわたり計画されて7本の経筒が出土しました。瓔珞(ようらく)のついた見事な4号経塚出土の経筒(写真中央)もありました。

絵巻に残る武蔵寺
b0273309_16581721.jpg筑紫野には、実にいろんな伝承が残っていました。二日市温泉も、昔は「武蔵温泉」または「吹田の御湯」ともいわれ、殿さまや金持ちが使う、古くから良く知られた湯治場でした。久しぶりに通った温泉街も現在は少し寂しい佇まいになっていましたが、明治以降九州鉄道の開通で開発に拍車がかかり当時は大賑わいを呈したそうです。




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予定より早めに始まり早めに終わりました。
博物館で解散となり家路につきました。
楽しい説明とバラエティに富んだ史跡の魅力は、2016年最後の史跡巡りにふさわしい内容でした。
       皆さまお疲れ様でした。
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by Fukuoka-heguri | 2016-10-18 20:30 | 史跡巡り

福岡想山会・野河内往還の会への出張ガイド

2016年10月15日
「野河内往還の会」の依頼により旧三瀬街道・飯場峠の出張ガイドを行いました。

参加者 
野河内往還の会 16名  
平群倶楽部より 2名

旧金武宿の案内板の前で資料を配り古場案内人が説明をしました。
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大山祇神社で旧三瀬峠と伊能忠敬の説明をする田山案内人。
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山登りのグループだけあって皆さん健脚でした。
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by Fukuoka-heguri | 2016-10-15 15:40 | 会員の活動

2016年10月度 定期ガイド

2016年10月度 定期ガイド

10月1日(土)曇り時々晴れ一時小雨
西区絶景ルート歴史散策
飯盛神社~飯盛山~叶岳 縦走コース


参加者:21名(女性:10名、男性11名) 平群9名 応援(姪浜2名・今宿1名)
コース:飯盛神社にて、10時00分から受付
    (10:45)飯盛神社 ⇒ コース説明・準備体操 ⇒ 11:05出発
⇒ 12:20飯盛山 山頂到着 ⇒ (昼食) ⇒ 13:00出発 ⇒ 14:15高地山 山頂
⇒ 15:00叶岳 山頂到着 ⇒ 15:10出発 ⇒ 15:50生松台中央公園 ⇒ 16:00 解散


飯盛山は雲に包まれ、出発前は時折小雨が通り過ぎる微妙な天気でしたが、晴れるという予報を信じて出発です。数日来の雨で濡れた足元に気を付けながら、ミストシャワーのようなガスの中を楽しく歩きました。不安定な週間天気予報だったせいか、当日の4名を含めて15名ものキャンセルがありましたが、21名が受付を済ませました。定期ガイドリピーターの方も何名かお見掛けしました。年齢は82才を筆頭に比較的高い構成でしたが、出発回避と途中で引き返された2名を除き、19名がケガ人もなく無事ゴールしました。
よかとこ他グループの、大崎・三明・三苫さんの3名の応援をいただき助かりました。
霧に包まれた木々と下界の眺望が幻想的でかえって良かったという感想や、山登りの達成感、上り下りや道の凸凹が面白い、歴史の説明が良かった、楽しかった等、皆さん充分ご満足いただけたようです。


飯盛神社前受付
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飯盛神社前受付
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時折小雨もぽつぽつ落ちたので境内のテントの下で受付けをしました。           
受付の後は、矢野会長の注意事項説明の後、準備体操をしてケガに備えます。


飯盛神社
神社の説明をする阿部案内人
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飯盛神社の由緒や狛犬・瓦経・かゆ占いなどの、有形・無形の関連文化財について説明しました。神社とこれから登る神奈備の山についての予備知識ができました。


出発
予定より20分遅く飯盛神社を出発です。昨日もコースの下見のために登ったという古川案内人が先導し、歩きが遅いと思う人を前方にして、特に最後尾には健脚の案内人を配置しました。先導者には感じが良かったと、お褒めいただきました。

体操の時、男の方の登山靴の底がはずれ、結束バンドや紐を頂いて応急措置をしましたが、山中で迷惑をかけないようにと、登山は回避されました。ここまで来て残念でした。


中宮を通らないなだらかな
カブトムシの道ルートをとりました。

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林道分岐休憩
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約30分の林道分岐点で水分補給後、一気に山頂を目指します。

ここで女性1名が脱落することになり、応援の大崎さんに、救護車まで付き添ってもらいました。


 頂上前の難所
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少しバテ気味で遅れた人もありましたが、何とか12時25分には全員山頂に到着しました。

飯盛山山頂(382m)

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山頂はあたかもミストシャワーのような細やかな霧が立ち込め、おかげで涼しく感じます。油山も安楽平山(荒平山)も、ここでは雲に包まれて見えませんでした。



飯盛山城址と上宮跡(瓦経塚遺跡)

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平案内人が飯盛山城址の郭の遺構と戦いの歴史、上宮の瓦経塚遺跡について説明しました。城は、戦国期は高祖山城の原田氏の端城でした。その前の南北朝の一戦で、上宮は焼かれてしまったといいます。


瓦経塚遺跡
b0273309_1734023.jpg上宮跡の一角から、永久2年(1114)の年号が入る願文が刻まれたものなども含む、大量の貴重な瓦経が発掘されました。
大正時代にここで掘りだされた瓦経は大半が散逸しており、将来が心配されます。



頂上での昼食タイム
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仲良く休憩の伊藤さんご夫妻
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13:00 叶岳に向けて出発!
展望台前の坂
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展望台からの飯盛山
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途中の展望台から今来た飯盛山を見ると、少しは眺望もきくようになってきていました。
この周辺で一番高い、高地山(419m)を通過するときは、飯盛山頂上付近ほどの急こう配はありませんが、疲れてきた足には少しこたえる最後の登り坂でした。

高地山山頂(419m)
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  頂上三角点の標識は、今年は金属製に変わり光っていました。高地山は付近で一番高いのに、なぜか国土地理院の地形図には山名が記載されていません。ここからはしばらく下りになります。



b0273309_21395099.jpgまたしても靴底が剥がれた方が!
結束バンドを持参されていたので+紐で応急処置をしました。
最後までこれでもちこたえました。
備えあれば憂いなしです。
1日に2度の同じアクシデントとは...



叶岳山頂
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予定より約30分の遅れで、15時ちょうどに叶岳山頂に到着しました。叶岳は、古は天狗山と言ってたそうですが、神功皇后が三韓進出の折この地での祈願が叶ったとして、叶嶽と名付けたと古文書にある山で、現在は山頂に叶岳神社が建っています。神社なのに、主神は本地仏勝軍地蔵です。約600年前の室町時代に近くの上原の豪族吉住氏が、京都の愛宕権現から分霊を勧請し、建立したと言われています。皆さんの願いも叶いますように、記念写真を撮りました


一気に生松台中央公園まで降りていきます。
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今日は滑るというので、いつものコースではなく、花崗岩を削った正面ルートの道を選びました。岩ばかりの、なかなかおもしろい道です。


元気にゴール
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飯盛山登頂前にバテそうだった最高齢?の方も、何とか叶ケ滝薬師堂到着です。
久しぶりの山でハードだったとのこと。



生松台中央公園
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最後に公園横でアンケートを記入していただき、内村さん特製「柊の栞」を参加記念にお渡しして、16時解散です。



b0273309_21563840.jpgご参加の皆様、お疲れ様でした。天気も午後からは晴れ間も見えるようになりましたが、それほど暑さを感じなくて済みました。皆さんのご協力で素晴らしい山歩きになりました。
またのご参加をお待ちしています。
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by Fukuoka-heguri | 2016-10-01 18:14 | 定期ガイド