史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

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「西区歴史よかとこ案内人」募集説明会

2013年度
「西区歴史よかとこ案内人」募集説明会

「西区歴史よかとこ案内人」募集説明会が、姪浜の西市民センターで行われました。
1日目 平成25年2月16日(土)会長挨拶 と各グループによるグループの紹介
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                                 (平群倶楽部は女性メンバーで担当)

2日目 平成25年2月24日(日)各グループのガイドポイントの説明とメンバー紹介
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3日目 平成25年3月03日(日)貸し切りバスに乗って西区内の史跡の案内
バスツァーは愛宕神社から始まりました。
生の松原元寇防塁b0273309_14275710.jpgb0273309_14291320.jpg
次に今津干潟を通って、今津の元寇防塁へ向かいました。
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北崎地区の東林寺。禅宗の始祖栄西の建立です。万葉歌碑も有ります。
東林寺の名前の由来についての会長の話に、皆さん興味津々の様子です。
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航海の守護神宗像三神が祀られている三所神社です。
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周船寺の丸隈山古墳desu.
横穴式石室を持つ五世紀前半の前方後円墳です。
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 石室の内部の箱式石棺です。
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今宿大塚古墳は六世紀前半の墳長64mの
前方後円墳で石室は未調査だそうです。
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後円部の上まで登りました。
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15時すぎにやっとバスは、平群倶楽部の持ち場の地域へやってきました。今日のバスツアーの説明は、男性陣の受け持ちです。
広石峠を通って野方遺跡に到着しました。
ここは弥生時代後期から古墳時代前期の集落の跡です。
弥生時代には大小二つの環濠に住居と高床倉庫を造り生活をしていました。
史跡公園として整備されています。
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住居跡展示館は弥生時代と古墳時代の竪穴住居跡が保存されていて、
土器や鉄器、銅鏡等の出土品も展示されています。
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次に飯盛神社へ行きました。
平安初期の貞観元年(859年)の創建といわれる古い神社で、
飯盛山全体が神域で上宮、中宮、外宮があり、早良7ヶ村の総社でした。
御祭神はイザナミの尊、玉依姫の命、誉田別の命(応神天皇)です。
粥占や流鏑馬などの行事も有名です。
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飯盛山の頂上の上宮跡から瓦経が多数出土しています。
末法思想が広がった時代の遺物です。
宋風石造狛犬も県の重要文化財で、そのレプリカが
中宮にあります。

休息所には「装飾器台付子持はそう」のレプリカがあります。
「装飾器台付子持はそう」はこの近くの羽根戸古墳から出土したものです。
今は伊勢神宮の徴古館にあって、国の重要文化財になっています。
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次は夫婦塚古墳です。正確には夫婦塚2号墳で、1号墳は今はもう消滅しています。
2号墳から北東40mのところにあったその1号墳からは、茨城や群馬の東国から
多く出土している五鈴鏡が出ています。
二号墳は羨道、前室、玄室と複室構造の両袖型の横穴式石室を持つ
35mX35m高さ約4.5mの方墳です。石室全長は11.5mあり、
玄室は幅2.45m奥行き3.6mの長方形で天井高さが3.1m。
壁は床から天井まで花崗岩の一枚岩で築かれています。
6世紀後半から末頃の築造で、築約1400年なのです。
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玄室から前室、羨道を見たところです。
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吉武高木遺跡は車中説明で、写真が撮れませんでしたが、公園化の工事は進んでいました。

吉武高木遺跡は1993年(平成5年)国指定史跡となり出土品の多くは重要文化財になりました。福岡市はこの吉武高木遺跡とその周辺を史跡公園とする整備基本計画を策定しました。それが「聖なる弥生の丘」史跡公園計画なのですが、何故か史跡公園は保留のままで、二十年が経ちました。平群倶楽部は市役所等各方面へ史跡公園の実現を訴えながら、看板しか無い未整備のままの草原で、歴史案内を続けてきました。

2011・11・13 定期ガイドの様子
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それが去年の二月、突然「国内最古級の王墓 吉武高木遺跡 複元へ」の新聞報道があり
ました。平群倶楽部は大喜びしましたが、しかしその整備の内容は、どうにも納得できな
いものでした。一番肝心の王墓を含む特定集団墓や、神殿と考えられている大型掘立柱建
物の複元は後回しで、将来気運が高まれば複元するという、中途半端なものなのです。
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吉武遺跡群は、頂点に立つ三種の神器を持つ王を含む、特定有力者集団の高木遺跡と、次
のクラスの戦闘指導者集団の大石遺跡、そして甕棺ロードの共同墓地の一般の人々、三段
階の階梯が明らかになる最古の遺跡でもあるのです。これによって弥生時代の国の形の
成立過程がわかり、早良王国の存在も確認されるのです。この吉武遺跡群の夫々の遺跡は、
弥生時代を考えるとき、重要な意味をもつ貴重な遺跡なのです。一日も早く王墓と神殿の
複元が実現するように、全面整備の気運を高めるために、平群倶楽部は一丸となった運動
を展開しています。
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# by Fukuoka-heguri | 2013-03-10 14:02 | その他

2013年2月度史跡巡り

[史跡巡り]2013/2月度 
平成25年2月19日(火)糸島の古墳や神社、博物館などを見て廻りました。

午前 釜塚古墳・一貴山銚子塚古墳・曲り田遺跡・鎮懐石八幡宮・塚田南遺跡
昼食 伊都安蔵里(いとあぐり) 安蔵里健康御膳 安蔵里豚汁御膳
午後 糸島市鎮座宇美八幡宮・糸島高校博物館・新町遺跡展示館・志摩歴史資料館
鎮懐石八幡宮では空閑(くが)宮司 宇美八幡宮では武内宮司のお話を聞きました。
新町遺跡展示館と志摩歴史資料館では伊都国歴史博物館のボランティアの人に案内して
もらいました。

釜塚古墳
直径56m、高さ約10mの大型の円墳で、幅約8mの周溝が巡らされていたそうです。石室は「竪穴系横口式石室」と呼ばれる初期の横穴式石室の形態で、5世紀初頭の築造といわれています。
生憎の残念な雨です、でもしかたない。
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周溝からは石見型木製品(いわみがた)が出土したそうです。 
石見型木製品とは奈良県の石見遺跡で出土した石見型盾形埴輪(いわみがたたてがたはにわ)とよばれる埴輪とよく似た形の木製品という意味だそうです。名前の付け方がいい加減な気がします。
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古墳のてっぺんまで登山しました。
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一貴山銚子塚古墳
全長103mの糸島地域最大の前方後円墳です。竪穴式石室からは、鏡10面他、鉄製素環頭太刀、鉄刀、鉄剣、鉄槍、硬玉製勾玉、碧玉製管玉等が多数出土しています。
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鏡は舶載鏡(中国製)が2面、そのうちの1面は鍍金(金メッキ)製の方格規矩四神鏡で、鍍金鏡は全国で3例しかない珍しいものです。もう一面は内行花文鏡で、仿製鏡(日本製)の8面はあの有名な三角縁神獣鏡です。調査を指揮した京都大学の小林行雄教授が後に発表する「同笵鏡論」の礎となったのが、この古墳なのだそうです。
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曲り田遺跡
稲作の始まりを裏付ける土器や石器、竪穴住居、支石墓、甕棺墓などが発掘され、稲作開始時期を知る貴重な手がかりとなった集落遺跡です。
縄文晩期末の土器とともに小さな鉄片も出土し、いつからが弥生時代かという時代区分論争を引き起こしました。また、塚田南遺跡の「深江駅家」が9世紀初頭にはこの地に移転したのだろうと考えられる、道路状遺構や建物跡も確認されているそうです。
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鎮懐石八幡宮
神功皇后伝説で有名な神社です。ここには九州最古の万葉歌碑があります。
安政六年(1859年)に建てられたもので、筑前の守山上憶良の作です。この長歌によって塚田南遺跡が深江駅家の跡であると確認されたのだそうです。
万葉歌碑の前で勢ぞろいで宮司さんの話に聞き入りました。この碑の書は豊前中津藩の人で、この地は長い間中津藩の飛び領でした。
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宮司の空閑(くが)さんです。
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昭和11年遷座の拝殿の床板は85センチを超える幅があり、当時はこの周辺に松の巨木が多かったことを物語るのだそうです。
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塚田南遺跡(深江駅家ふかえのうまや跡)
古代の交通、通信制度として7世紀後半には「駅伝制」が確立していたようです。
古代幹線道路は現在の高速道路のように一直線に作られていて、三十里(約十六㎞)ごとに駅馬を配置した駅家が置かれていました。この道を国司の許可を得た特別な役人が駅鈴を鳴らしながら馬を走らせていたのです。この遺跡からは、道路跡と大型の建物跡が発見されています。
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糸島市鎮座宇美八幡宮
縁起によれば、気比大神が神功皇后三韓渡航の折、船上に現われて援助をされた。皇后は三韓より帰朝され、仁徳天皇の治世十年に、平群木菟宿祢の子博公を神主として此の霊蹟に神社を建て気比大神を祀らせた。是が本宮の縁起である。
上宮は長嶽山南方に鎮座する丸型山稜で頂上に石祠がある。祭神は仲哀天皇である。神功皇后の摂政元年、武内宿禰に命じ、香椎に在るところの先帝のお棺を当山に収めて、築陵したとある。皇后の三韓御渡航の折の御殯斂(ひんれん)の地か、とありました。
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日本書紀の応神即位前記に応神天皇は「筑紫の蚊田に生まれませり」とあり、その地は
筑前國怡土郡長野村蚊田、現在の糸島市前原長野のことであるという説があります。
もしこれに従えば神功皇后はこの糸島の地で応神天皇をお産みになられたことになります。
以前、糟屋郡の宇美八幡宮とここ糸島の宇美八幡宮とは本家争いを行ったようですが、
そのことは縁起書にはありません。一説によれば戦前に、本家争いの裁判があって、糟屋郡の宇美八幡宮が勝った。そしてその時、ここ糸島の宇美八幡から貴重な歴史資料が某有名大学等に移され、その後詳細が不明になってしまったという事だそうですが、宮司さんはそのことについては、あまり詳しくは語られませんでした。
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狛犬に睨まれました。
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武内宮司は武内宿禰から数えて八十二代目にあたられるそうです。
宮司は三台の神輿が坂道を、氏子をお供に下る「秋季大祭」のことを話されました。
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武内宮司の話で一番驚いたのは、この宇美八幡宮の上宮と本宮のある長嶽山は、自然の山では無くて、人工的に赤土を盛って作られた山、つまり古墳であろうと思われるという話でした。この巨大古墳の被葬者はいったい誰なのでしょうか。
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県立糸島高校郷土博物館
県立の高等学校の中にある珍しい博物館です。縄文時代から弥生時代、古墳時代のいろいろな出土品、それから瓦経や経筒、そして江戸時代の人相覚まで、その展示物は見事なものでした。この学校の歴史部の生徒は、卒業生である原田大六さん達の協力で、発掘作業と整理、複元作業を行ったのだそうです。素晴らしい学校です。
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福岡県指定文化財の舟形石棺(長須隈古墳)
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新町遺跡展示館
昭和57年度の第一次調査で57基の支石墓を主体とする墓域が発見され、弥生時代開始期の埋葬人骨が出土したことで有名な遺跡です。人骨は低顔・低身長で抜歯もしていました。
弥生時代の墓の中からでてきたのは縄文人の骨でした。さてどういうことなのでしょう。
  下見の時の写真です。この日は晴れでした。
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磨製石器が刺さった状態で埋葬された男性人骨も発見されています。日本最古の戦死者だそうです。
模型はこれから行く志摩歴史資料館にあるそうです。
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 伊都歴史博物館のボランティアの人に案内してもらいました。
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隣接する御床松原遺跡は大正六年九州大学の中山平次郎博士の「貨泉」の発見で、弥生時代の年代の決め手となったことで有名なのですが、今はなにもありません。
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志摩歴史資料館

最後に志摩歴史資料館へ行きました。ここも伊都歴史資料館のボランティアの人が案内してくれました。説明が上手で、それも勉強になりました。
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竪穴式住居は冬暖かく夏涼しく、縄文時代から鎌倉時代まで続くそうです。
新町遺跡の「貨泉」が展示してありました。新町遺跡の支石墓から出土した縄文人の骨もありました。最古の戦死者です。古代の製鉄施設の模型もありました。
紙に記された最古の戸籍がありました。戸籍は6年に一度作成され、不要となった貴重な紙は、裏紙を利用するため払下げになったのだそうで、実物は正倉院に伝来したものだそうです。大宝2年(702)の筑前国嶋郡川辺里の戸籍の断簡で、筑前国嶋郡川辺里は、今の福岡県糸島市志摩町のあたりと考えられ、つまりこの歴史資料館のすぐ近くなのです。
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今日の予定は無事終了しました。
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# by Fukuoka-heguri | 2013-02-19 17:51 | 史跡巡り

鷹島神崎遺跡国史跡指定記念シンポジウム

松浦市鷹島町の「鷹島スポーツ・文化交流センター」で行われた鷹島神崎遺跡国史跡指定記念シンポジウム「蒙古襲来、元の軍船からみえてくるもの」に、西区歴史案内の仲間の他のグループの人たちも一緒に、バスを貸し切って行ってきました。

1月26日(土)早朝7時30分姪浜駅北口を出発。
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鷹島まで二時間弱のバスの旅で、
「スポーツ・文化交流センター」に到着しました。立て看板の奥に屋外喫煙所がありました。寒さに足踏み
しながら吸っている人がいました。たばこ止めればいいのに。  到着時は小雪が舞っていました。b0273309_1784980.jpgb0273309_17101479.jpg


基調講演  「蒙古襲来と鷹島」  佐伯弘次氏・九州大学大学院教授

基調報告① 鷹島神崎遺跡における元軍沈船の調査  (池田榮史氏・琉球大学法文学部教授)
NHKスペシャル「発見・幻の巨大軍船」の、琉球大学の池田先生の話は、実際に海底に潜って探しまわった人ならではのお話で興味深いものでした。
先生がご自分の潜水具の頭にカメラを取付け、二十数メートル下の現地まで潜る様子を撮られた映像は、圧巻でした。
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基調報告② 鷹島海底遺物の科学調査  (今津節生氏・九州国立博物館科学課長)
基調報告③ 韓国水中発掘調査の現状と調査成果 (梁 淳碩氏・国立海洋文化財研究所 水中発掘課学芸研究士)泰安馬島における水中発掘調査を中心に講演               
通訳 主税英徳氏・佐賀県三養基郡基山町教育委員会

*予定されていた中国・内蒙古自治区文物考古研究所長の、陳 永志(チェン・イォンジ)氏が欠席で、会場から残念の溜息があがりました。しかし何故なのでしょうか。


パネルディスカッション
今津節生先生をコーディネーターに、パネラーとして荒木伸介氏・水中考古学者と後籐雅彦氏・琉球大学法文学部准教授が加わられて行われました。
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「韓国の国威をかけての水中発掘への取り組み」
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梁 淳硯(ヤン・スンソク)氏の話には出てこなかったのですが、韓国における水中発掘調査の現状という資料の番号Ⅰ、新安 防築里 新安船 発掘調査というのは、森浩一さんの「古代史の窓」という本の「そっくりさんの香炉」にでてくる、京都の東福寺へ届くはずの荷を積んで沈んだ、沈没船のことのようです。
西谷 正先生は「新安海底発見の木簡」という論文を85年に発表されているそうです。
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「てつはう」
蒙古襲来絵詞に「てつはう」の名称ででてくる元軍が使用した炸裂弾は、危険だから発射する寸前にしか火薬を詰めない。火薬をつめたら即発射する。だから火薬の詰ったままの現物が出たということは、あの神風が、いかに突然の嵐であったかの証拠なのだ、という話に納得しました。

X線CTスキャナによる調査・内容物が残る「てつはう」
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帰路
天気はすっきりと回復していました。帰りに寄り道をした「道の駅鷹ら島(たからじま)」に舟が展示してありました。2001年のNHK大河ドラマ「北条時宗」の船団の中の一艘だそうです。
しかし今回発掘された船はこれの4~5倍はありそうです。
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夢の大橋「鷹島肥前大橋」
平成21年4月18日に、開通しました。
向こう側は佐賀県唐津市肥前町、こちら側は
長崎県松浦市鷹島町、斜張橋で橋長1.251m、
通行料は無料でした。
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夕焼けがとてもきれいでした。
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# by Fukuoka-heguri | 2013-01-26 17:39 | 会員の活動

2013年1月度史跡巡り

[史跡巡り]2013/1月度 
1月度の史跡巡りは福岡市東区箱崎地区
東区の「さんぽ会」の古賀会長の案内で
筥崎宮(筥崎八幡宮)→恵光院→御茶屋(本陣)跡を巡りました。
一之鳥居は慶長十四年(1609年)藩主黒田長政の建立なのだそうで
国指定重要文化財です。柱は三段に切れ下肥りで、笠木島木はひとつの
石で造られていて先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じという異色の
鳥居で、「筥崎鳥居」というそうです。
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この雄大な楼門は文禄三年(1594年)領主小早川隆景の建立だそうです。
「敵国降伏」の扁額を掲げているので、「伏敵門」とも呼ばれるそうです。
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筥崎八幡宮は宇佐、石清水とともに日本三大八幡宮に数えられています。
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毎年1月3日に盛大に行われる玉取祭(玉せせり)の玉です。
触れると幸運を授かるそうです。
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瑠璃山医王密寺・恵光院は筥崎八幡宮の「結縁寺」だそうで、明治の廃仏毀釈の難を
逃れることができたため、筥崎宮や各社坊にあった数多くの仏像・仏画等が、このお寺に
伝わったのだそうです。不動明王座像など見事な仏像でした。
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御茶屋(本陣)の面影はもう何もなく「旧御茶屋跡」の碑があるだけでした。
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# by Fukuoka-heguri | 2013-01-21 18:23 | 史跡巡り

2012年度 研修旅行

2012年の平群倶楽部恒例の研修旅行は、中九州(大分県~熊本県)を巡る二泊三日のバス旅行でした。10月30日早朝7時、姪浜駅北口から、「心躍る三日間の旅」は始まりました。

一日目 大分自動車道で宇佐市へ、(宇佐神宮)(宇佐風土記の丘・県立博物館)そして、国東半島(富貴 寺)(真木大堂)(熊野磨涯仏)(三浦梅園旧宅)を巡り、杵築旧市街をバスの車窓から眺めながら、
東九州 自動車道を通って竹田市の長湯温泉に到着しました。
宇佐神宮と神宮寺と国東半島六郷満山の仏教文化との、繋がりに興味津々です。
宇佐市の駅館川付近は、3~6世紀という長い期間安定した支配が行われていた様です。
江戸時代の偉い学者である三浦梅園が、こんな田舎で哲学していたとは、驚きでした。


宇佐神宮大鳥居、
宇佐神宮は全国で2万5千社余り有るとも云われる
八幡宮の総本宮で、ここは八幡大神の発祥の地です。

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二日目 竹田市(岡城址・滝廉太郎記念館)から二日目の始まりです。バスは熊本県へ、阿蘇山を通って
上益城郡山都町へ行き(清和文楽邑・文楽館)通潤橋を見学、宇土市内から、(向野田古墳)(宇土市土
資料館)熊本市へと(熊本城)(旧細川刑部邸)向いました。
阿蘇の山は雄大でしたが、あちこちに豪雨災害の爪跡が、生々しく残っていました。
清和文楽は江戸時代の末に、村の農家の人達が習い覚えて今に伝わったものだそうです。

阿蘇山をバックにb0273309_22345533.jpg


向野田古墳(前方後円墳)
竪穴式石室から阿蘇溶結凝灰岩の長さ4m(全国で2番目の長さ)の巨大な舟形石棺が出土しました。
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三日目 最終日はまず植木町へ(田原坂古戦場)そして和水町(なごみまち)(江田船山古墳)(和水町歴
史資料館)次に、山鹿市鹿央地区(県立装飾古墳館)(岩原古墳群)それから山鹿地区(オブサン古墳 ・
チブサン古墳)(山鹿市立博物館)を巡って、最後に南関町へ行きました。(南関町豊前街道御茶屋跡)
御茶屋とは、花街のお茶屋ではなく、歴代藩主が参勤交代や領内巡視の時、宿泊や休息のために使用さ  れた建物(本陣)のことだそうです。
銀象嵌銘太刀等豪華な副葬品で有名な、江田船山古墳の家形石棺が目の前にありました。
チブサン古墳の有名なあの装飾文様も、しっかりと見ることもできました。
山鹿市立博物館の、方保田東原遺跡(かとうだひがしばるいせき)の出土遺物は、ただごとではない感じが します。邪馬台国と対立した「狗奴国」なのかもしれません。

オブサン古墳(円墳)
オブサン(うぶさん=産さん)古墳は「お産」の神様として信仰の対象となっているということでした。
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チブサン古墳の装飾文様
玄室の奥に石屋形があり、その内側に原色で描かれています。二つの円文が女性の胸に似ていることから「チブサン」という名がついたそうです。

      (画像をクリックすると大きくなります)
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バスは、南関ICから九州自動車道を走り、11月1日18時すぎ、姪浜駅北口に着きました。
実に面白く、楽しい三日間の平群倶楽部の研修旅行でした。  
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# by Fukuoka-heguri | 2012-12-11 21:10 | 研修旅行