史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリ

定期ガイド
史跡巡り
日帰りバス研修
研修旅行
臨時ガイド
ジュニアプロジェクト
平群倶楽部について
会員の活動
イベント
その他

以前の記事

2017年 12月
2017年 09月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 07月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 05月
2012年 03月
2011年 03月
2010年 09月

最新のコメント

メモ帳

検索

最新の記事

ジュニアプロジェクト
at 2017-07-31 17:52
2017年6月度・史跡巡り
at 2017-06-20 17:46
2017年5月度・定期ガイド
at 2017-05-27 18:15
2017年5月度・史跡巡り
at 2017-05-16 17:28
2017年4月度・史跡巡り
at 2017-04-18 19:10

平成28年度 連絡協議会バス研修

平成28年度 連絡協議会バス研修
2016年 11月10日(木)8時30分~16時10分 曇り後雨
佐賀県唐津市 菜畑遺跡・末盧館、久里双水古墳および
長崎県松浦市 鷹島埋蔵文化財センタ・同民俗資料館、元寇記念碑 他
参加者38 名(平群 6、姪浜15、今宿13、今津4)
参加費 3,000円


研修行程
8:35 姪浜中央公園出発 ⇒ 9:30唐津市 菜畑遺跡・末盧館 ⇒ 10:50松浦市 民族資料館
・同 埋蔵文化財センタ ⇒ 12:05昼食 阿翁浦港「吉乃や」⇒ 13:05元寇記念碑 
⇒ 13:30道の駅「鷹ら島」⇒ 14:25久里双水古墳 ⇒ 14:45 JA唐津「うまかもん市場」
⇒ 16:05姪浜中央公園解散 
   
午前中曇りで午後小雨が降り出す、急に冷え込んだあいにくの一日でしたが、外歩きが少なかった分さほど支障は感じませんでした。糸島観光のバスで、唐津に直行しました。稲作を伝える重要な菜畑遺跡に建つ末盧館では縄文晩期から弥生に亘る稲作の歴史について、鷹島では鎌倉時代の元寇の歴史について説明を興味深く聞き入りました。最後は雨の中をかなり高い久里双水古墳の頂まで登り、古墳時代の雰囲気も味わいました。
昼食は、日本一といわれる鷹島の養殖トラフグのランチを堪能し、トイレ休憩や最後の買い物で立ち寄った農産物直売所では、福岡では野菜が高いので、それぞれ山のようなお土産を仕入れて帰路につきました。詰め込み過ぎない手頃な行程で、じっくり楽しめました。



菜畑遺跡・末盧館

末盧館
「からつ末盧館」は、魏志倭人伝に有名な「末盧国」に比定されるこの地に因み、日本最古の稲作遺跡といわれる菜畑遺跡を顕彰するため、この名がつけられました。25~2600年前に始まる菜畑遺跡の再現とここで発掘された遺物の数々を展示しています。館内では、折よく「稲作伝来第二幕」(唐津湾岸の弥生社会の成立)の特別企画展も見学でき、稲作の発展段階との違いも勉強できました。
b0273309_15474756.jpg
館内b0273309_1548037.jpg



館内展示から遺跡公園(出あいふれあい広場)まで、末盧館の学芸員濱口さん(女性)の案内です。明快な語り口でとてもわかりやすく稲作の歴史を解説していただきました。縄文晩期を証明した炭化した米(日本最古?)だけでなく、アワ・ソバ・大豆などの五穀や栗・桃などの果実、石包丁・木のクワなどの農工具、土器などとともに、猪豚(家畜?)や各種の動物の骨も出土しており、「日本農業の原点」としても見るべきものがあります。

出あいふれあい広場

b0273309_1550913.jpg

裏の広場では当時の小さな水田を再現し、そこで今年刈り取ったばかりの赤米が干してありました。広場内には、竪穴住居や高床式倉庫、縄文の森も復元しています。


松浦市立 歴史民俗資料館・埋蔵文化財センター 
歴史民俗資料館
b0273309_15573428.jpg

鷹島の海底遺跡では1980年から、琉球大などを中心に調査が行われて、壺や刀・碇石などが引き上げられていましたが、2011年(平成23)に水深20数ⅿの海底を約1ⅿ掘り下げたところから、元の軍船(船底の竜骨と外板)を発見しました。それで翌2012年に鷹島町神崎免の沖合海域(約38万㎡)が日本で初めての海底遺跡「鷹島神埼遺跡」として国史跡に指定されています。この海域は弘安の役(1281年)の際、元の船団が暴風雨で壊滅的被害を受けた地点といわれています。 

b0273309_1655515.jpg資料館では海底遺跡からの4000点以上の出土遺物と、埋文センタでは、海中という特種な状態での発掘と遺物の保存処理方法などを見学勉強できます。学芸員の山下さん(女性)の抑揚をつけた講談調の語り口は、情景が見えるような説明で、聴衆を見事に元寇の時代に連れて行っていただきました。
AR(拡張現実)の眼鏡をかけて、蒙古襲来の元寇船団に乗っている気分を味わうことができました。スマホでも可能です。


鉄製冑
b0273309_1610283.jpg
牡蠣殻のつく壺
b0273309_16112174.jpg


 てつはう
蒙古襲来絵詞で有名な新兵器「てつはう」。
投石機で飛ばし、中には鉄や陶器のかけらが詰められていたそうです。
b0273309_16123620.jpg
管軍総把印
昭和49年に発見された青銅製の印。元国字のパスパ文字で「管軍総把印」と刻まれています。
持ち手のところに「至元14年(1277)9月造」の字も確認できる。総把とは中隊長程度の将校とのこと。
b0273309_1613794.jpg


海底発掘模様レプリカ
海底での調査は大変です。掃除機のようなもので砂泥を吸って取り払います。
木製遺物などは地上に上げるとすぐ腐ってしまうそうで特別な処理が必要です。
b0273309_16134485.jpg
木製大碇の先端と碇石
b0273309_1614199.jpg






    ~~~~~~ 昼食 阿翁浦港「吉乃や」 ~~~~~~
      とらふぐdeランチセット
b0273309_16221464.jpg

松浦市は、とらふぐの養殖で日本一だそうです。
赤い皿一杯のフグ刺し付きランチは料金もリーズナブルでここでなければ食べられません。




宮地嶽史跡公園
b0273309_1654141.jpg

食事後は、宮地嶽公園の元寇記念碑を見学しました。鷹島町阿翁免の標高116mの宮地嶽は、玄界灘が一望に見える鷹島一の絶景地で、近くにモンゴル村(先月で休村に)も見えます。元寇の際の激戦地になりました。数名を除きほぼ全員が元軍に殺されたという村民の慰霊塔もあります。昭和45年に史跡公園として整備されました。

元寇記念碑
b0273309_1672766.jpg

元寇記念碑は大正5年に建立されましたが、碑の裏には元寇の役の経過や元軍殲滅の史実が刻まれています。風もあり雨の中の見学となり、せっかくの絶景地でしたが早々に切り上げました。


鷹島肥前大橋

b0273309_1684120.jpg

平成21年開通の、鷹島肥前大橋のたもとにある道の駅「鷹ら島」でトイレ休憩後、再び唐津の方へ戻ります。



久里双水古墳公園


久里双水古墳
b0273309_16103425.jpg

傘をさして登りました。久里双水古墳は、唐津平野の南最奥部の松浦川右岸の丘陵部に立地する、古墳時代初頭(3世紀末から4世紀初頭)築造で、今宿古墳群よりも大きな、近隣では最大の前方後円墳です。古墳公園の中の建物に、発掘された竪穴式石室のレプリカが展示されています。


発掘調査時の写真
b0273309_16114484.jpg
古墳の頂上から
b0273309_16122511.jpg



墳丘長は90ⅿ、後円部長47ⅿ、くびれ部幅20ⅿ、前方部幅29ⅿ。高さが非常に高く、天井石の上部で標高37ⅿ前後あり、墳頂はさらに高かったと思われます。墳頂部には後世に経塚が置かれ、削られています。前方部は整形と版築状盛土がありますが、後円部は地山の整形のみで盛土はありません。

全体の墳形は、くびれ部分が不明瞭な柄鏡形です。未盗掘だった石室内から、径約12㎝の平縁盤龍鏡(黄河・長江流域と楽浪の漢墓から出土、国内では30面出土)や鉄製刀子、碧玉製管玉などが出土しています。未盗掘の割には遺物が少ないのは、石室内の気密性が失われ劣化が激しかった可能性もあるとか。




b0273309_16243942.jpg 


最後に「うまかもん市場」に寄って、それぞれ野菜や果物などのお土産・夕食の素材を大量に仕入れてから、帰途につきました。
程よい見学数で、雨の中のバスの乗り降りも少なくてすみ楽しく有意義な研修旅行でした。
ガイドのお二人の説明には皆さん感心しきりで、良い刺激になったようです。
研修担当の今宿G大崎さんお世話様でした。
ご参加の皆さんお疲れ様でした。
[PR]
# by Fukuoka-heguri | 2016-11-10 16:52 | 日帰りバス研修

旧三瀬街道 廃道トレッキング

2016年11月度 定期ガイド

旧三瀬街道 廃道トレッキング

11月3日(火祝) 快晴
南金武(金武宿)~飯場峠~飯場宿~曲淵公民館

参加者:40名(女性:13名、男性27名)、平群10名(内2名は救護・受付班)、
コース:南金武バス停にて、10時00分から受付
    (10:40)南金武バス停(コース説明・準備体操・三瀬街道の説明)
⇒ 11:00南金武出発 ⇒ 11:20西山登山口 ⇒ 12:20飯場峠 ⇒ 12:40真教寺前 
⇒ 12:50曲淵公民館 ⇒(昼食)⇒ 13:10解散 バス等下山(陽光台方面) 
           ⇒ 13:30復路出発 ⇒ 14:05飯場峠 ⇒ 14:50南金武


秋晴れで突き抜けるような青空と、空気はヒンヤリと気持ちよく、旧三瀬街道ガイドでは初めての好天に恵まれました。3名のキャンセルがありましたが、スタッフを含め48名で、旧街道を歩きました。雨で中止の昨年から待ちに待っての再度の申し込み者や、飯盛山~叶岳からの連続参加者も多く、遠方は久留米からまで、山歩き大好きの元気な方ばかりで、一人の脱落者もありませんでした。スタートが遅い分曲淵到着も遅くなったので、下りのバスの時間の関係でアンケートをいただく時間がありませんでしたが、解散時の笑顔と個別にお聞きした限りでは、皆さん充分楽しんでいただけたようでした。


コース説明,旧三瀬街道の歴史についてのレクチャー、準備体操の後
           参加者全員で記念撮影
b0273309_16513411.jpg



スタート
予定より15分ほどの遅れで出発です。まずは集落の中の広い舗装道路を登ります。
ここも昔の街道ルートです。
b0273309_16572479.jpg


西山登山口
ここから山道に入るので登山口で一旦水分補給し装備を整えます。
右脇の川には砂防堰堤があります。
b0273309_16583612.jpg




 山道へ
一列になって山道を歩きます。
b0273309_1764935.jpg


   駒山作右衛門則弘の墓
b0273309_1791444.jpg

さらにコンクリートの山道から石ころの林道に入るとすぐ左手の小高いところに石塔が立っています。
1730年頃幽閉先のこの地で亡くなった黒田藩士駒山作右衛門の墓といわれています。



石ころの旧街道
最近の好天で水はあまり流れていませんでしたが、
旧街道は川底のような石ころだらけの道になっています
b0273309_17144345.jpg

側溝跡
最大の難所、壊れた側溝で階段状になっています。当初皆で積んだ土嚢も、このコースを使うオフロードバイクの練習で、すぐ壊されます。今年は水が少ない分、それほど超えるのに苦労はしませんでした。それでも、ここらあたりからはしばらく沢登りの様相を呈します。
b0273309_1716472.jpg


多数の倒木
スタッフが事前に下見して藪を払ったり、木を切ったりしていましたが、あちらこちらには倒木が道を塞いでいます。倒木を迂回したり、屈んだりして通ります。
b0273309_17195912.jpg



飯場峠
やっと一番高い飯場峠に到着しました。
休憩です。
b0273309_17222922.jpg


b0273309_15573024.jpg


3年前に設置した峠の標識の前で一休みします。
10/1の飯盛山~叶岳縦走にもご参加いただいたお二人です。
歩くのが大好きなようです。



             ここからは下るだけになります。 
b0273309_1632476.jpg



真教寺前
b0273309_1645821.jpg
松原邸
屋根が新しいトタンで覆われてしまいましたが、
集落の中に1軒だけ藁葺き白壁の家が残っています。
飯場宿があった時代から居住されているということです。
b0273309_1652723.jpg



昼食(曲淵公民館)

b0273309_168405.jpg

参加者で、元西区まるごと博物館自然部会の牛尾さん(昨年の飯盛山も同行)
シュロの葉でバッタを作って配っていただきました。
b0273309_169765.jpg





解散

ここから行程が分かれるので、ひとまず13時過ぎに解散しました。


バスで下山組

b0273309_16135744.jpg
曲淵公民館前バス停から、24名の方がバスで陽光台方面へ帰られました。
また9名(平群2名含む)が歩いて同じ早良方面へ。



帰路も歩いた健脚組(南金武帰着)
健脚者4名とスタッフ6名の10名だけでした。
b0273309_16172395.jpg
中央区の平山さん、女性で唯一の往復組でした。
眺望はなくても楽しかったとおしゃっていました。
b0273309_16303064.jpg






波呂曲淵自治会長
b0273309_16361726.jpg今回は地元曲淵自治会の歩こう会から、波呂会長以下5名も参加していただきました。
波呂会長は、戦国時代の城主曲淵河内守の弟で大山祇神社の勧請などで名の残る波呂新左衛門の末のようで、曲淵の60数戸の内、10軒ほどが波呂姓とお聞きしました。
公民館の利用など何かとご配慮いただきました。隣の小学校には山の学校として留学制度で市内の方から通学している生徒も多いそうです。


 b0273309_1648220.jpg


ご参加の皆様、お疲れ様でした。
コースも天気もめったにない好条件で、廃道をじっくり味わうことが出来たと思います。
皆様のご協力でケガ人もなく円滑に無事に終えることができました。
「西区よかとこ案内」、またのご参加をお待ちしています。
[PR]
# by Fukuoka-heguri | 2016-11-03 20:40 | 定期ガイド

2016年 10月 平群 研修旅行

2016年 10月 平群 研修旅行

2016年 10月25日(火)8時00分~26日(水)18時05分  曇り一時雨
  ~~~ 壱岐島の史跡めぐり ~~~   参加者 7名
研修行程 
  [25日]: 博多港出発(8:00)⇒ 郷ノ浦港(9:10)⇒ 壱岐国博物館 ⇒ 原の辻ガイダンス
⇒ 原の辻遺跡 ⇒ 勝本城址 ⇒ 昼食勝本「よしもと」⇒ 聖母宮 ⇒ 猿岩 ⇒ 黒崎砲台跡
⇒ 壱岐の蔵酒造 ⇒ 岳の辻展望台 ⇒(15:35)宿泊 郷ノ浦町民宿「滝の上」
[26日]: 掛木古墳 ⇒ 水神社 ⇒ 百合畑古墳 ⇒ 笹塚古墳 ⇒ 双六古墳 ⇒ 鬼の窟屋古墳 ⇒ 国片主神社(へそ石)⇒ 月読神社 ⇒(追加)壱岐神社 ⇒ はらほげ地蔵
⇒ 安国寺 ⇒ 住吉神社 ⇒ 賽神社 ⇒ (13:40)直会 和風レストラン「海岸」
⇒ 郷ノ浦港(16:55)⇒ 博多港(18:05)(解散)


初日は朝から曇り空で、一時雨の予報もあり心配されましたが、降られたのは猿岩見学時の一回だけ。うまく雨の合間を縫って行動でき、2日目も帰るまで傘は不要で暑くもなく、良い旅日和でした。
7時半には博多港に集まり、久々の泊旅行に期待が高まります。ジェットフォイルで1時間余り、穏やかな海を渡ると郷ノ浦港には、2日間運転もお世話になる民宿「滝の上」のご主人がお待ちでした。早速マイクロバスに乗り込んで、最初の見学地へ向かいました。
端から端まで30分程度の狭い壱岐島の其処彼処に、縄文から中近世までの480か所以上(長崎県の13%)という、興味深い史跡が散りばめられています。まさに「日本の故郷」を感じさせる島です。予定の時間よりかなり早く行動できたので、当初の予定になかったところもたくさん回っていただきました。おかげで2日間同じ道を何度も通りながら、島の隅々まで歴史を堪能できました。
夜は民宿で宴会。刺身の盛り合わせやアワビの蒸し焼きサザエの刺身と壺焼き付きなど、非日常的な豪華な食事に舌鼓を打って懇親を深め、後は全員のカラオケで盛り上がりました。
壱岐が初めての人は二人だけでしたが、各所の案内ガイドさんもベテランばかりで楽しく、リピーターも改めて楽しめたようです。大変楽しく美味しく有意義な研修旅行でした。  

[ 25日]

一支国博物館

車で石田町の方面へ移動します。2010年開館の新しい市立「一支国博物館」は、見晴らしの良い丘の上に建ち、長崎県の埋蔵文化財センタも同居しています。縄文から近世までの壱岐の遺物を線で結んで、通史的に学習できる博物館となっています。ボランティアの会の田口さんの案内で、マリンブルーの館内を見学しました。この時間だけ外は雨だったようです。

一支国博物館
 b0273309_1694650.jpg 
人面石
ムンクの叫びに似た「人面石」はここしかなく、
先祖の霊を鎮める儀式に使用されたと考えられています。
b0273309_1610113.jpg  


 
原の辻ガイダンス

原の辻ガイダンス
原の辻ガイダンスでは、原の辻遺跡を歩く前に、
発掘の歴史や史跡の四季の風情を紹介しています。
b0273309_1617462.jpg
ジオラマで説明
壱岐研究会の伊佐藤さん(女性)の案内で、まず原の辻遺跡の概要をレクチャーしていただきました。
そのあと車で少し移動して、復元された遺跡公園を歩きます。近くの畑の中に、弥生時代の船着き場の跡のポールが立っていました。

b0273309_16181818.jpg



原の辻遺跡(国特別史跡)

原の辻遺跡は、一支国王都復元公園として整備されています。植栽も当時のものです。壱岐は3世紀末の魏志倭人伝に「一支国」として登場しており、原の辻は何重もの環濠に囲まれた環濠集落で、その王都と考えられています。日本列島だけでなく、半島や大陸の品々が多数出土し、交易や交流の中継地・拠点として栄えていました。

主祭殿
公園内には、住居や王の館、倉庫・物見櫓などが多数復元され、当時の暮らしぶりを感じることができます。
b0273309_16265894.jpg




勝本城址(城山公園)(国指定史跡)
     
勝本城跡石垣
b0273309_16312143.jpg

勝本港を見下ろす丘の上の勝本城は1591(天正19)年、豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて平戸藩主松浦鎮信に築城させた出城で、一ノ門と二の門の間の枡形と、左右の石垣が残っています。


~~~~~~~ 昼食 ~~~~~~~
 
勝本町「よしもと」
           刺身と天ぷらの昼定食
b0273309_1634886.jpg

昼食は定食でしたが実に味がよく、全部おいしくいただきました。
潮の香は、食欲増進に効果があります。


聖母宮(しょうもぐう)
b0273309_14541527.jpg

聖母宮は、奈良時代初期の創建とされる神功皇后を祀った神社で、勝本の総鎮守となっています。
旧社名は香椎宮といい、筑前香椎宮との関係が深いようです。ここから南へ下ります

猿岩
b0273309_14552927.jpg猿岩に着くと、急に雨風が強まり、傘もさせない程でした。サルの鼻息だったでしょうか。猿岩は、湯本湾の西につき題した黒崎半島の突端にある奇岩で、海蝕によって出来た高さ48mの玄武岩の岩塊です。
まさにゴリラ! 遠くを見て何思う?


黒崎砲台跡
b0273309_1513526.jpg

猿岩駐車場から1分のところに東洋一の黒崎砲台跡があります。廃艦となった戦艦「土佐」の主砲があったといわれます。射程距離は対馬との中間位までとか。昭和8年に島民を動員して築かれたそうですが、一度も使ったことはなく終戦となり、25年には解体されました。

(有)山の守酒造
途中、明治32年創業の山の守酒造場に立ち寄り、見学と試飲をしました。昔ながらの甕づくりの麦焼酎「山の守」を製造・販売しています。島内7つの蔵元の内の一つです。
お土産にする人も。

岳の辻展望台
b0273309_1551710.jpg
壱岐最高峰・岳の辻(213m)の展望台からは、壱岐全島と眼下に郷ノ浦の街や大島・長島・原島の3島が一望できます。天気がよければ対馬も見えるということです。



展望台と烽火台跡
b0273309_1563398.jpg

展望台のすぐ脇に烽火台の跡があります。元寇のためという説と白村江の戦い後に天智天皇が対唐・新羅の来襲を恐れて造ったという二説があります。外径4m(内径2m)のドーナツ状の烽火台と脇には煙突のあるかまど状の烽火台もあり、火と煙を昼夜で使い分けしたとも思われます。


   ~~~~~~~  宿泊 民宿「滝の上」 ~~~~~~~~~
豪華な刺身とアワビの夕食
b0273309_1510077.jpg
b0273309_15134427.jpg



[ 26日]

掛木古墳(国史跡)

b0273309_1524257.jpg

2日目の最初は掛木古墳です。
掛木古墳は、6世紀末頃の円墳で、当時は直径30mあったといわれる。県内唯一「くり抜き式家形石棺」が置かれている。内外・天井で使われた石は、驚くほど巨大です。

壱岐風土記の丘 古墳館
b0273309_15262659.jpg


国史跡「壱岐古墳群」(双六、対馬塚、兵瀬、笹塚、鬼の窟、掛木)に関する位置情報や古墳築造様子などを模型で詳しく紹介しています。裏手には18世紀の壱岐の百姓武家屋敷(オモヤ)を現地に移築し、まわりにインキョ、ホンマヤ、ウシノマヤなどを復元しています。

水神社
近くの水神社にも寄りました。
樹齢数百年の大銀杏がありました。
b0273309_1537423.jpg


百合畑古墳群
    百合畑古墳園
b0273309_1542647.jpg

6世紀末から7世紀初めの古墳群で、島内10基の前方後円墳のうち5基がここにあります。ちなみに壱岐島内には256基(全長崎県の61%)で、島の中央部亀石地区に91基が集中し、そのうち20基が百合畑古墳群にある古墳密集地帯です。首長クラスの一族係累の墓と思われます。


笹塚古墳(国史跡)
百合畑からも歩けますが、車で入口まで迂回しました。山の中にありました。円盤状の台座に直径約40mの円墳がのった二段築造の古墳で、亀の形の金銅製品初め162点の出土品は、国の重要文化財になっています。

双六古墳(国史跡)

b0273309_15462337.jpg

6世紀中頃の、全長91mを誇る県下最大の前方後円墳です。終末期の前方後円墳は概して前方部が大きく高いとか。大きな石材を積み上げたドーム型の天井に、当時の技術の高さが偲ばれる古墳です。


鬼の窟古墳
b0273309_1547384.jpg

6世紀後半から7世紀前半の直径45m、高さ13mの大型円墳で、前室・中質・玄室の三室と羨道からなる16.5mの石室は島内最長です。壱岐で横穴式石室古墳のことを鬼の窟というそうです。 
郡司 壱岐直の墓でしょうか?


国片主神社
国片主神社は、式内社で、祭神は少彦名命。古来国分天満宮といわれていました。神社の建つ地は、律令時代、郡司壱岐直氏の居館址でした。

 国片主神社

b0273309_1552431.jpg


鳥居くぐり

境内の3つの小さな鳥居を潜れれば、
それぞれ家内安全、安産、その他諸々の御利益? 
b0273309_15525243.jpgへそ石
すぐ隣には壱岐の中心?道標となった「へそ石」と「顎かけ石」があります。
b0273309_15551559.jpg


月読神社
b0273309_15585742.jpg
月読神社は、国片主神社から約5百m位のところです。御祭神は、中 月夜見尊、左 月弓尊、右 月讀尊、いずれもツキヨミ? 鎮座時期は不明ですが、「京都の松尾大社の月読神社が487(顕宗3)年に壱岐の県主の先祖忍見宿祢が壱岐から分霊した」とあるので、それ以前に存在していたことになり、かなり古い。
神社の始まりのような神社です。



壱岐神社(少弐資時の墓)
b0273309_161625.jpg

まだ時間も早く、民宿ご主人の計らいで、予定になかったところも案内していただきました。まず芦辺町に足を伸ばし壱岐神社を訪ねました。壱岐神社は、元寇弘安の役で戦死した少弐資時を祀った、昭和19年造営の壱岐で最も新しい神社です。神社内には、元寇の碇石が展示してありました。

元寇碇石
b0273309_1623634.jpg
少弐資時の墓
裏手の少弐公園には、資時の墓があります。
b0273309_163546.jpg



はらほげ地蔵

b0273309_1653058.jpg

清石浜の美しい海岸線を走り、八幡浦の海中(満潮時)に建つ六地蔵は、「はらほげ」は、腹部を丸くえぐられているので名付けられた。地獄・餓鬼・人間・天などの六道で群衆を苦しみから救うとされています。以前は近くの海中にあったものを港湾整備でこちらに移設したものだそうで、干潮時は全身が干上がります。


左京鼻
b0273309_1674952.jpg

左京鼻は、総延長約1㎞の海蝕崖で海中には細い柱を束ねたような奇岩が突き出ています。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱」とされています。

安国寺
b0273309_169391.jpg

1338年足利尊氏と直義は元弘の乱以来の戦死者の冥福を弔うために、従来あった海印寺を安国寺としました。室町時代の貴重な宝物を所蔵し。中でも高麗版大般若教は国の需要文化財です。御神木の杉が見事でした。ここまでが予定外でした。


住吉神社
b0273309_16112366.jpg

住吉三神をご祭神とする住吉神社は、社伝によると三韓征伐を成し遂げた神功皇后が帰途郷ノ浦触に上陸して祀ったという。(日本最古の住吉神社)その後神託により現在地に遷座。明治の社格では国幣中社(博多住吉は官幣小社、尾坂が大社)。鬱蒼とした大木が繁る境内は、静寂と荘厳に満ちています。境内の池からは銅鏡が見つかっているということです。


賽(さい)神社
b0273309_1621955.jpg昼食会場の隣にも神社がありました。
賽神社は、天照大神が天の岩戸に隠れたとき、裸で踊って岩戸を開けさせたというアメノウズメがご祭神です。女性神ということで拝殿内外に巨大な男性のシンボルが祀られ、安産・縁結び、夫婦和合などの祈願で有名とか。隣で見学のご老人が、これ見て自信を無くしたと大声で話していました。





待合室にて
b0273309_16255651.jpg これで全行程完了。港近くの和風レストラン「海岸」にて、遅い昼食を兼ねた直会で旅行の無事を祝しました。
帰りもほぼ満員の乗客でしたが、行きと同じく穏やかな海路を帰途につくことができました。



  ~~~~~~~~~~~~~
博多港に着いたときは停泊中の大型クルーズ客船の明かりがまぶしく感じるほどに暗くなっていました。
ターミナルであいさつの後解散しました。
盛りだくさんの史跡とマイクロバスの乗り降りで、皆さんお疲れ様でした。
幹事の西久保さん・内村さんには、もろもろの手配やバス内でのガイドまでお世話様でした。
[PR]
# by Fukuoka-heguri | 2016-10-26 18:49 | 研修旅行

2016年 10月 史跡めぐり

2016年 10月 史跡めぐり
筑紫野市周辺の散策  
10月18日(火)8時30分~16時00分 晴れ
参加者 5名


史跡めぐり行程 
出発 ⇒ 筑紫神社 ⇒ 原田宿 ⇒ 五郎丸古墳 ⇒ 昼食「福龍」
⇒ 武蔵寺と周辺の史跡 ⇒ 筑紫野市歴史博物館 ⇒ 解散 

数日来の秋涼からやや強い日差しが戻る、秋晴れの良い天気となりました。
筑紫神社には約1時間も早く到着しましたが、本日のガイドの中村さんが既に境内でお待ちでした。筑紫の国名の語源ともなったと言われる神社と、神社の周りに伸びる長崎街道と原田宿、装飾古墳で有名な五郎山古墳見学の後は、二日市温泉街で昼食をとりました。
午後は天拝山歴史自然公園で、「つくし郷土会」の名本さん・岩下さんのお二人と落ち合って、現存する九州最古の寺と言われる武蔵寺とその周辺を散策しました。最後に筑紫野市歴史博物館では、学芸員の早瀬さんの案内で企画展「ちくしの博覧会」まで見学でき、今日歩いた筑紫野の歴史の総まとめができました。
福岡市からほど近い筑紫野市ですが、大宰府にも近い交通の要衝で、温泉地としても栄えた華やかな地域には、実に多様な歴史と伝説が織りこまれており、新しい発見がいくつもありました。ガイドの皆さんは、いずれもベテランの方ばかりでわかりやすく、ウンチクや裏話も楽しいものでした。ありがとうございました。
 
筑紫神社  
b0273309_1336185.jpg


筑紫神社は、筑紫という国号の語源になったといわれる歴史ある神社です。諸説あるそうですが、古代は筑前・筑後・肥前の三国の国境に位置するこの地で、荒ぶる神が峠を往きかう人を取り殺すので「命尽す(つくす)の神」と呼ばれ、後に「筑紫(つくし)の神」として祭られたら平穏が訪れたというのが伝説の一つです。奈良時代以前からの鎮座と思われますが、今は他に玉依姫、坂上田村麿も祭神となっています。鎌倉時代には、地頭職の筑紫氏が社司を兼ねていました。年中行事では、飯盛神社と同じ、「かゆ占い」(3月15日)が有名です。今年の出来予想は、中の上となっていました。

ガイド中村さん(中央)の説明
b0273309_13401732.jpg

中村さんは、普段は九州歴史資料館で活動をされているとかで、筑紫野市の方は個人的な繋がりで、協力されているそうです。


金木犀と十月桜
本殿横には芳しい金木犀と珍しい十月桜が
並んで咲いていました。
b0273309_13434879.jpg
元禄の鳥居
元禄12年(1699)に建てられた古い石の鳥居で、
「元禄の鳥居」と呼ばれています。
額の文字は、貝原益軒の要請で、京都の花山院内大臣定誠が書いたものとか。
b0273309_13454065.jpg




長崎街道 原田宿

神社をとりまくように長崎街道が巡っています。山家宿と肥前(鳥栖)の田代宿の中間に位置し、筑前・筑後・肥前の三国境の宿場町のため、西搆口の横に関番所が置かれ、厳重な手形改めが行われました。島原の乱(1638)の鎮圧のため松平信綱一行が50騎1300人余の軍勢で宿泊した記録があり、この頃には整備されていたと考えられます。幕末にはオランダ使節に随行した、ドイツ人医者のケンペルやシーボルトも通ったことを日記に残しています。博多街道(大宰府参詣道)への分岐が筑紫神社に残っています。


神社をとりまくように長崎街道が巡っています。山家宿と肥前(鳥栖)の田代宿の中間に位置し、筑前・筑後・肥前の三国境の宿場町のため、西搆口の横に関番所が置かれ、厳重な手形改めが行われました。島原の乱(1638)の鎮圧のため松平信綱一行が50騎1300人余の軍勢で宿泊した記録があり、この頃には整備されていたと考えられます。幕末にはオランダ使節に随行した、ドイツ人医者のケンペルやシーボルトも通ったことを日記に残しています。博多街道(大宰府参詣道)への分岐が筑紫神社に残っています。

長崎街道
神社の階段横を長崎街道が通ります。
b0273309_1482728.jpg
整備された長崎街道
b0273309_1485613.jpg

神社正面に伸びる街道はもともと直線だったそうですが、暴走族対策?でカーブがつけられ、きれいに整備されています。旧3号線だったそうですが、整備したためかえって、今は通る車もなくなってしまったとか。古い建物も少なく、街道の面影はほとんど留めていません

伯東寺境内の臼

b0273309_14123436.jpg

伯東寺境内の臼街道筋の伯東寺の境内には、原田宿名物の「はらふと(腹太)餅」をついていたといわれる、花崗岩をくり抜いた小さな石臼が伝わっています。「はらふと餅」は、丸くふっくらして中に塩餡(後には砂糖餡)が入った薄皮の餅だそうで、一つだけで腹いっぱいになり、大腹餅ともいわれるようになり、現在の大福餅の語源になったものです。




五郎山古墳(国史跡)
グビー選手の名前のような五郎山古墳は、昭和22年(1947)に山の地主さんによって偶然発見された、玄室の岩に見事な装飾壁画が施された古墳です。古墳館は、たまたま遠足がてらの大勢の幼稚園児の一行と重なったので、現地を先に見学することにしました。

 五郎山古墳入口
b0273309_14173760.jpg

五郎山古墳は、市内が一望できる小高い山の上にあり、一帯は公園になっています。途中に段を持つ二段築成の円墳で、6世紀後半のものといわれます。直径約35mのほぼ正円に近くなっています。裾には幅2mの溝が巡り、内側に1.5mのテラスが設けられています。全長11mの横穴式石室で、羨道は高さが前室側1.4m、入口側は0.9mと低くなっています。
今週末(22日)には石室内部が公開され、実物を見られるところでしたが、後で模擬体験します。

五郎山古墳館    
幼稚園児と入れ替わり、古墳館のビデオで少し勉強しました。古墳石室のレプリカが原寸大で造られており、現物以上に明確な壁画を鑑賞できました。

狭い羨道入口
入口は這わないと入れない低さで、老体には腰や膝に負担がかかります。
次第に高くなりますが、奥には鮮やかな装飾壁画が広がっていました。
b0273309_14205749.jpg
装飾壁画
b0273309_14214186.jpg



壁移動後の入口
b0273309_14422672.jpg

入退室に苦労したのに、見学の後で、電動での壁の移動を見せてもらいました。高齢者や体の不自由な人は立って、また車椅子でも入れるようになります。
ここで中村さんとはお別れです。これから自分も歴史講座の勉強に行かれるとか。お忙しい中
ありがとうございました。


~~~~~~~~本日の昼食~~~~~~~~~~
               中華料理「福龍」
              八宝菜定食(730円)
  
b0273309_1653237.jpg

昼食会場は、二日市温泉街(湯町)  
中華にしてはこってりせず比較的あっさりとした味でした。   



武蔵寺(ぶぞうじ)跡(県指定史跡)


天拝山歴史自然公園
b0273309_16145363.jpg

風情のある万葉の時代を思わせる、公園内の池に突き出た舞台では、歌会などいろんなイベントが行われるそうです。

藤原虎麿銅像
b0273309_16165858.jpg
舞台正面に、これから行く武蔵寺創建の伝承を持つ、長者藤原虎麿の銅像が立っています。銅像脇の長廊下の屋根の下で、「つくし郷土史会」の名本さんと、元会長の岩下さんのお二人がお待ちでした。



 武蔵寺山門
早速山門前で、まず岩下さんの説明
b0273309_1620997.jpg「椿花山武蔵寺」は奈良時代創建と思われるが不明な部分が多いそうで、縁起絵図によると、武蔵(むさし)村に住む藤原虎(麿)という長者が山にでる怪火の正体を確かめに山に入り、現れると弓矢で射落とした。その夜の夢枕で神将が現れ「射止めたのは薬師如来の霊で矢は霊木に刺さっているのでその木で薬師如来と十二神将の像を作り建物を建てて安置すれば、国や氏族が繁栄する」とのお告げで山へ行ってみると椿の大木に矢が刺さっていたので言われるとおりにし、堂塔を建立して末永く信奉した。山号「椿花山」もその仏像の原木に由来しているといわれている。


長者の藤
b0273309_16215083.jpg
満開時のイメージ
b0273309_16234651.jpg

境内にある、樹齢800年ともいわれる「長者の藤」(市の天然記念物)も、虎麿が「堂塔の盛衰はこの藤の栄枯にあらん」と誓って植えたと言われ、藤原の「藤」の木を植えたとも。毎年5月頃になると見事な花房で彩られ、参拝客で賑わうそうです。



武蔵寺は、南北朝から戦国時代(島津軍)までの度重なる戦禍で荒廃しましたが、裏山からは大治元年(1126)銘の入った経筒が出土しており、平安時代後期には栄華を誇り、大伽藍や、12寺と多くのお堂や経蔵、仁王門などがあったと伝えられています。

自然石梵字板碑

b0273309_16353812.jpg

山門横の、市指定文化財の「自然石梵字板碑」には、薬師如来を意味する梵字「バイ」が刻まれ、貞和3年(1347)の銘がある。これも虎麿長者の墓といわれています。奥の建物は、糸島生まれの南画家藤瀬冠邨の晩年の画室・半禅居だったそうです。


般若心経古塔
b0273309_1637849.jpg

境内左手に行くと、経が刻まれた石塔が並んでいます。左が全国でも数少ない般若心経の古塔。筆は黒田藩家臣で儒医の上村樗。実に石に彫られたとは思えないほど美しい字体です。右は比較的新しい般若心経の一字一石経塔です。

御自作天満宮
b0273309_16381427.jpg

御自作天満宮のご神体は、菅原道真が自ら刻んだ、自分の等身大木造座像といわれる。天満宮は1586年の岩屋城合戦で焼かれたが、ご神体の頭部だけ運び出され、元禄年間に福岡藩武蔵領主立花増弘が修復し社殿を建立して祀ったものといわれます。

紫藤の滝と古石塔

b0273309_16213688.jpg

大宰府に左遷された菅原道真が天拝山に登って無実を訴えた際、この滝で身を清めたといわれる。左手にはその時衣を掛けたという「衣掛の岩」があります。右の古塔(市有形文化財)には正平20年(1365)の銘が彫ってあります。

自詠菅公石碑

b0273309_16403463.jpg

道真が詠んだ歌碑で、28文字の書体の中に18羽の鳥が描かれているそうです。鳥になって早く京へ帰りたいとの思いがこもる。「鳥文字」「鳥点の筆法」というそうです。すべての鳥は確認できませんでした。大宰府天満宮にある実物は13羽とか。

五卿の歌碑

b0273309_16414564.jpg


武蔵寺山門脇に建つ石の歌碑。長州落ちした五卿の1人が詠んだもの。三条実美ら五卿は、大宰府遷座の際、筑前勤皇党の中心人物だった福岡藩月形洗蔵(後に藩の弾圧で投獄処刑)の案内で、天拝山や二日市温泉を訪れている。福岡藩の維新後の不遇は、勤王派弾圧や贋札事件によるが、洗蔵は後に顕彰されています。名本さんの締めの講談を面白く聞きました。




筑紫野市歴史博物館


ガイドのお二人にもお付き合いいただいて、最後の見学地「筑紫野市歴史博物館」に向かいます。博物館は、周辺で発掘された弥生時代の人骨や副葬品、長崎街道関連の古文書など原始から近世までの郷土資料を常設展示しています。今回は「「ちくしの博覧会」(指定文化財からたどる筑紫野
市の歴史と文化)の特別企画展が開催されていましたので、館の早瀬学芸員の案内で説明付きの見学ができました。

早瀬さんの解説
b0273309_16533382.jpg

筑紫の黎明から、やまの歴史と文化、戦と信仰、街道と宿場、近代の幕開けの構成で展示されており、わかりやすい説明で、本日の散策コースの総まとめがうまくできました。

武蔵寺経塚
b0273309_16544339.jpg

大宰府近郊は、四王寺山を中心に経塚密集地帯であるが、この中で最も古い経塚は武蔵寺経塚の中の一つだそうです。残念ながら盗掘されて経塚も個人の所有になっているが、その経筒には寛治8年(1094)の銘があるとか。これ以上の盗掘を防ぐために、発掘調査が三次にわたり計画されて7本の経筒が出土しました。瓔珞(ようらく)のついた見事な4号経塚出土の経筒(写真中央)もありました。

絵巻に残る武蔵寺
b0273309_16581721.jpg筑紫野には、実にいろんな伝承が残っていました。二日市温泉も、昔は「武蔵温泉」または「吹田の御湯」ともいわれ、殿さまや金持ちが使う、古くから良く知られた湯治場でした。久しぶりに通った温泉街も現在は少し寂しい佇まいになっていましたが、明治以降九州鉄道の開通で開発に拍車がかかり当時は大賑わいを呈したそうです。




b0273309_17132136.jpg
予定より早めに始まり早めに終わりました。
博物館で解散となり家路につきました。
楽しい説明とバラエティに富んだ史跡の魅力は、2016年最後の史跡巡りにふさわしい内容でした。
       皆さまお疲れ様でした。
[PR]
# by Fukuoka-heguri | 2016-10-18 20:30 | 史跡巡り

福岡想山会・野河内往還の会への出張ガイド

2016年10月15日
「野河内往還の会」の依頼により旧三瀬街道・飯場峠の出張ガイドを行いました。

参加者 
野河内往還の会 16名  
平群倶楽部より 2名

旧金武宿の案内板の前で資料を配り古場案内人が説明をしました。
b0273309_15485022.jpg



大山祇神社で旧三瀬峠と伊能忠敬の説明をする田山案内人。
b0273309_15494785.jpg



山登りのグループだけあって皆さん健脚でした。
b0273309_1625829.jpg

[PR]
# by Fukuoka-heguri | 2016-10-15 15:40 | 会員の活動