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史跡案内ボランティアガイド


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2013年7月度史跡巡り

2013年7月度史跡巡り
風浪宮・昇開橋・肥後街道を歩く 

出発 → 三瀬トンネル → 佐賀大和 → 諸富橋・大川橋 →風浪宮駐車場
風浪宮・・・昇開橋・・・昼食・・・榎津・小保の町並み(肥後街道)散策・・・ 

風浪宮
風浪宮の駐車場で、大川観光ボランティアガイドの中村さんに大川では「おふろうさん」と呼ばれ、親しまれている風浪宮神社についての説明をしてもらいました。
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神功皇后が三韓征伐からの帰途、筑後葦原の津、(現在の大川市の榎津)に寄港したとき、
皇后の乗った船の近くに、白鷺がこつ然と現われて、東北の方角に飛び去ったそうで、
皇后はこの白鷺こそ勝運の道を開いた少童命(わだつみのみこと)の化身であるといわれ、
その白鷺が止まった所にお社を建てられたのが、起源ということです。


風浪宮には、子どもでも両手で持ち上げることができる、小さな石造狛犬が一基残されているそうです。
双獅子(ふたつじし)合体で、宗風がうかがえる桃山時代の秀作とされているそうですが、見る事はでき
ませんでした。
境内の狛犬は、あ型雄球とり うん型雌子持ち で、どことなく宋風のようです。
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阿曇磯良丸の像のある風浪宮にお参りをした後、社務所のお座敷で阿曇史久宮司の
お話を聞くことができました。
宮司さんの風浪宮の歴史の話は、「風浪宮」名前の由来・風浪宮神紋 洲浜の由来・御祭神についてなど、興味深いものでした。

志賀海神社では「わたつみ」は綿津見と表しますが、ここでは少童命「わたつみのみこと」とされています。これは有明海一帯の神社に多く見受けられることだそうです。

「志賀島は阿曇氏の大陸交易の為の先端基地で、本願地は一族を養うことが出来る稲作平野で且つ海洋路を備えたこの地と、阿曇磯良丸は決めたのではないだろうか。そしてこの地に今も阿曇磯良丸が眠っている(阿曇磯良丸の墓がある)と信じている。」という、古代のロマンあふれるお話でした。
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磯良丸神社の横に磯良塚という大きな石がありました。「たもと石」とも呼ばれていて、神功皇后が三韓征伐の折、たもとに入れて持ち帰った石で、だんだん大きくなったという伝説があるそうです。
実はこれは弥生時代の支石墓(ドルメン)とも考えられていて、これが宮司さんの云われるところの阿曇磯良丸の墓なのでしょうか。条件が整のえば、発掘調査を行うそうです。
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昇開橋
筑後川昇開橋は1935年旧国鉄佐賀線の鉄橋として、筑後川河口に架設された全長507mの東洋一の可動式鉄橋です。現存する可動橋の中では全国で最古のもので、平成15年5月30日に国の重要文化財に指定、平成19年8月には日本機械学会の「機械遺産」としても認定されています。
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1987年の佐賀線廃止に伴い、線路としての役目を終えたのですが、地元住民の強い要望によって、1996年に遊歩道として復活したそうです。
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昇開橋のテッペンを棲みかにしている隼(はやぶさ)です。
この暑さのためか、グッタリしているようでした。
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大川観光ボランティアガイドの中村さんとは、ここでお別れをしました。


昼食の後、
榎津・小保町並み(肥後街道)の散策
大川観光ボランティアガイドの星野さんは、暑いなか、丁寧に案内をしてくれました。

江戸時代、榎津地区は久留米藩の渡船場、港町として発達した町で、一方小保地区は柳川藩の肥後街道沿いの宿場町でした。

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浄福寺の門前に「第八次伊能忠敬測量隊御宿」の石碑を見つけて大喜びの平群倶楽部「三瀬街道プロジェクト」のメンバー。



久留米藩と柳川藩の藩境には、藩境の石列がありました。
暑いので皆、日陰に避難しています。ガイドの星野さん、ごめんなさい。
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法泉寺の鐘楼門2013年7月度史跡巡り_b0273309_2134939.jpg

法泉寺の鐘楼門、吉原義郎家住宅(ボランティアガイドの会会長さんのお宅です)
次に国指定重要文化財・旧吉原家住宅を見学しました。
旧柳河藩小保町の別当職を代々務めた吉原家の居宅で、伊能忠敬は二度に渡ってここに宿泊したようです。
公用の間の彫刻欄間は見事なものでした。“大川木工”の伝統の技の結集だそうです。

市指定重要文化財の高橋家住宅(庄分酢)の燕です。
商売繁盛間違いなしです。
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願蓮寺では、大川木工は約460年前船の大工から始まったことや都会的なデザイン「引き手なしたんす」が、大川を代表する家具として全国的に有名になったことなどを説明してもらいました。


7月度の史跡巡りも無事終了しました。
大川観光ボランティアガイドの中村さん、星野さん、そして三宅さん、暑いなか、お世話になりました。
ありがとうございました。
昼食で追加注文した「エツのお刺身」はおいしかったです。
by Fukuoka-heguri | 2013-07-22 21:51 | 史跡巡り | Comments(0)