史跡案内ボランティアガイド


by Fukuoka-heguri

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2013年3月度・定期ガイド

定期ガイド・2013年3月30日(土)南金武・橋本・花見コース
「雨天中止」が続いた平群倶楽部の定期ガイドでしたが
今日は最高の天気で、気持ち良く案内と花見ができました。

南金武で受付・挨拶・体操
旧三瀬街道金武宿⇒都地城祉⇒アメンボ池⇒吉武高木遺跡⇒安楽平城について
西部運動公園 昼食・休憩
室見川河畔 花見 ⇒橋本八幡宮 閉会挨拶

南金武
受付・挨拶のあと準備体操、そして出発です。
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旧三瀬街道金武宿に到着しました。
三瀬街道は、江戸時代から大正時代まで、福岡と佐賀を結ぶ主要な街道でした。
福岡から佐賀へは、塩・魚など海産物を、佐賀から福岡へは、米や木炭などを
運んだそうです。三瀬街道には金武宿と飯場宿の二箇所の宿場がありました。
特に、ここ金武宿は古くから発達していて、味噌醤油屋、酒屋、質屋、雑貨屋
などが軒を連ねて、木賃宿も数軒あったという地域です。
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その金武宿から飯場宿までの街道は、終戦以前には頻繁に利用されて
いたのだそうですが、昭和20年代中頃の水害で壊れてしまって、
そのまま放置されて、今はもう通行する人は殆んどいない状況なのです。
このままでは、貴重な歴史遺産であるこの街道は、消滅してしまいます。
平群倶楽部は、いまにも消えて無くなりそうなこの三瀬街道の跡に、
表示看板6本を立てて、この街道の存在が忘れ去られることのない様、
保護する計画を、会長を中心に推進しています。
2012年1月7日 現地調査をしました
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2013年3月25日 
会長が西区役所から看板の材料を受領しました。

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都地城祉
ここは足利幕府から、九州の反逆鎮撫のために
派遣されて、都からやってきた、北面の武士の
細川若狭守の居城跡です。
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アメンボ池
地域の人々が作ったビオトープ(人が作った生物の生存する環境)です。
絶滅危惧種の植物やメダカなどを保護・育成しています。
今日は桜が満開でした。
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吉武高木遺跡
なにもない原っぱに、案内看板だけが立っています。
ここが、鏡・剣・玉 三種の神器がセツトで一つの木棺から出土し、
我が国最古の王墓、幻の早良王国と全国的に有名になった、
弥生前期末の吉武高木遺跡です。
20年前(1993年平成5年)国指定史跡になりました。
今、史跡公園の工事が始まっていますが、これは早期公開を目的
とした暫定的な先行整備で、王墓を含む特定集団墓の複元も、
神殿であろうと思われる大型掘立柱建物の復元も、残念なことに
後回しなのです。
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福岡市は「国指定史跡吉武高木遺跡」の愛称を募集しています。
是非どしどし応募してください。
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安楽平城について
吉武高木遺跡の南東の方向に見える、荒平山を見ながら、
かつてあの山にあった安楽平城のこと、都地城との戦い
などの歴史について、会長が話をしました。

室見川河畔 花見
西部運動公園で昼食、休憩のあと、室見川河畔散策です。

毎回、この室見川の橋のうえで室見川クイズを行なっています。
当てると素敵な賞品がもらえます。 
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室見川河畔の桜の道をゆっくり歩きました。
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橋本八幡宮
今日の最後の案内は、「木の葉モール橋本」の近くの橋本八幡宮です。
神社の縁起、黒田家三代当主光之公の話、この神社と紅葉八幡宮との
関わりなどを説明、そして所縁(ゆかり)の話の紙芝居を見てもらいました。
そのあとは境内の楠の巨木、きずなの木や、男マキ、女マキなど
市の保存樹を見て廻りました。
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隣接している須賀神社、稲荷社で、閉会の挨拶をしました。
無事終了です。
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# by Fukuoka-heguri | 2013-03-30 10:00 | 定期ガイド

定期ガイドのご案内

歴史と自然散策のご案内
平群倶楽部(ボランティアガイドグループ)主催で、春の1日を福岡市西区にある
金武・吉武地区周辺を歴史散策してみませんか?


参加者募集中です
・日時;2013年3月30日(土)
・集合; 地下鉄姪浜駅南口バス停9:30 または
     地下鉄橋本駅(地上出口バス停9:50)(受付場所まではそれぞれバスで移動)
〇受付; 西鉄南金武バス停横 10時15分より(お近くの方は直接でも可)
・参加費; 大人300円 小学生以下100円(保険、資料代)各自お弁当、飲み物は持参。
・申し込み締め切り: 3月23日(土)迄
・申込み先; ハガキ・電話又はe-メールで(参加コース名:「金武吉武歴史散策」
参加者の〒・住所・氏名・年 齢・電話番号
を忘れずに記入のこと。

〒819-0013福岡市西区愛宕浜1-16-6  矢野三千男 【Tel:092-881-7128】
申し込み用のe-メール: nishikuyokatoko@gmail.com まで

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# by Fukuoka-heguri | 2013-03-20 12:43 | 定期ガイド

2013年3月度史跡巡り

[史跡巡り]2013/3月度 
久留米市内(城下町・高良大社・草野の街並み)
午前 久留米城址⇒梅林寺⇒坂本繁二郎生家⇒水天宮
午後 高良大社⇒草野歴史資料館と草野の街並み
今日一日、案内をしてくれたのは、久留米観光ボランティアガイドの草場会長です。

久留米城址
江戸時代の久留米藩を約250年間治めた有馬氏の居城跡で、
その昔は篠山城の名で呼ばれていたそうです。
未だ3月19日というのに桜がもう花見ができる程咲いていました。
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梅林寺
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久留米藩歴代の菩提寺であるとともに、九州の代表的修行道場で、
修行の厳しさで知られるお寺です。
基本的に参拝者を受け入れていないのだそうです。

梅林寺 勅使門
勅使以外は誰も通ることは出来ない門です。
扉の浮き彫りが凄いです。
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      梅林寺 有馬家霊廟
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近代洋画の巨匠 坂本繁二郎の生家
城下に残る唯一の武家屋敷(知行150石の屋敷)だそうです。
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水天宮b0273309_14531034.jpg
安徳天皇は、壇ノ浦の戦いで二位尼に抱かれて入水、
わずか八歳でお果てになったはずなのに、
この久留米の地で、椿の花の歌を詠う恋物語の主人公になっていたとは、
それが水天宮の椿の花の御神紋の由縁とは、興味深い話でした。
水天宮の本殿のまわりを、ぐるりと38種類の椿の木が囲んでいました。

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真木和泉守の銅像
水天宮第22代目宮司で、幕末の動乱期に、
吉田松陰亡きあとの勤皇の旗頭として活躍するも、
蛤御門の変に敗れて自害してしまう真木和泉守の銅像。
NHK大河ドラマ「八重の桜」では嶋田久作が演じていました。全く似ていませんでした。



高良大社
筑後国一宮。江戸初期の権現造りで、九州最大の神社建築です。
見晴らしの素晴らしいこの地は、古代から重要な戦略地点で
各時代に大きな激動に見舞われた歴史があります。
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草野歴史資料館と草野の街並み
筑後の古都草野は、戦国時代の悲劇の豪族である草野氏の城下町でした。
江戸時代は肥後街道の宿駅として栄え、街並みは往時の面影を残しています。

草野歴史資料館(明治44年建・旧草野銀行) 
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鹿毛家住宅(1780年建・草野で最も古い家屋)
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# by Fukuoka-heguri | 2013-03-19 21:36 | 史跡巡り

「西区歴史よかとこ案内人」募集説明会

2013年度
「西区歴史よかとこ案内人」募集説明会

「西区歴史よかとこ案内人」募集説明会が、姪浜の西市民センターで行われました。
1日目 平成25年2月16日(土)会長挨拶 と各グループによるグループの紹介
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                                 (平群倶楽部は女性メンバーで担当)

2日目 平成25年2月24日(日)各グループのガイドポイントの説明とメンバー紹介
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3日目 平成25年3月03日(日)貸し切りバスに乗って西区内の史跡の案内
バスツァーは愛宕神社から始まりました。
生の松原元寇防塁b0273309_14275710.jpgb0273309_14291320.jpg
次に今津干潟を通って、今津の元寇防塁へ向かいました。
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北崎地区の東林寺。禅宗の始祖栄西の建立です。万葉歌碑も有ります。
東林寺の名前の由来についての会長の話に、皆さん興味津々の様子です。
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航海の守護神宗像三神が祀られている三所神社です。
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周船寺の丸隈山古墳desu.
横穴式石室を持つ五世紀前半の前方後円墳です。
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 石室の内部の箱式石棺です。
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今宿大塚古墳は六世紀前半の墳長64mの
前方後円墳で石室は未調査だそうです。
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後円部の上まで登りました。
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15時すぎにやっとバスは、平群倶楽部の持ち場の地域へやってきました。今日のバスツアーの説明は、男性陣の受け持ちです。
広石峠を通って野方遺跡に到着しました。
ここは弥生時代後期から古墳時代前期の集落の跡です。
弥生時代には大小二つの環濠に住居と高床倉庫を造り生活をしていました。
史跡公園として整備されています。
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住居跡展示館は弥生時代と古墳時代の竪穴住居跡が保存されていて、
土器や鉄器、銅鏡等の出土品も展示されています。
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次に飯盛神社へ行きました。
平安初期の貞観元年(859年)の創建といわれる古い神社で、
飯盛山全体が神域で上宮、中宮、外宮があり、早良7ヶ村の総社でした。
御祭神はイザナミの尊、玉依姫の命、誉田別の命(応神天皇)です。
粥占や流鏑馬などの行事も有名です。
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飯盛山の頂上の上宮跡から瓦経が多数出土しています。
末法思想が広がった時代の遺物です。
宋風石造狛犬も県の重要文化財で、そのレプリカが
中宮にあります。

休息所には「装飾器台付子持はそう」のレプリカがあります。
「装飾器台付子持はそう」はこの近くの羽根戸古墳から出土したものです。
今は伊勢神宮の徴古館にあって、国の重要文化財になっています。
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次は夫婦塚古墳です。正確には夫婦塚2号墳で、1号墳は今はもう消滅しています。
2号墳から北東40mのところにあったその1号墳からは、茨城や群馬の東国から
多く出土している五鈴鏡が出ています。
二号墳は羨道、前室、玄室と複室構造の両袖型の横穴式石室を持つ
35mX35m高さ約4.5mの方墳です。石室全長は11.5mあり、
玄室は幅2.45m奥行き3.6mの長方形で天井高さが3.1m。
壁は床から天井まで花崗岩の一枚岩で築かれています。
6世紀後半から末頃の築造で、築約1400年なのです。
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玄室から前室、羨道を見たところです。
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吉武高木遺跡は車中説明で、写真が撮れませんでしたが、公園化の工事は進んでいました。

吉武高木遺跡は1993年(平成5年)国指定史跡となり出土品の多くは重要文化財になりました。福岡市はこの吉武高木遺跡とその周辺を史跡公園とする整備基本計画を策定しました。それが「聖なる弥生の丘」史跡公園計画なのですが、何故か史跡公園は保留のままで、二十年が経ちました。平群倶楽部は市役所等各方面へ史跡公園の実現を訴えながら、看板しか無い未整備のままの草原で、歴史案内を続けてきました。

2011・11・13 定期ガイドの様子
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それが去年の二月、突然「国内最古級の王墓 吉武高木遺跡 複元へ」の新聞報道があり
ました。平群倶楽部は大喜びしましたが、しかしその整備の内容は、どうにも納得できな
いものでした。一番肝心の王墓を含む特定集団墓や、神殿と考えられている大型掘立柱建
物の複元は後回しで、将来気運が高まれば複元するという、中途半端なものなのです。
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吉武遺跡群は、頂点に立つ三種の神器を持つ王を含む、特定有力者集団の高木遺跡と、次
のクラスの戦闘指導者集団の大石遺跡、そして甕棺ロードの共同墓地の一般の人々、三段
階の階梯が明らかになる最古の遺跡でもあるのです。これによって弥生時代の国の形の
成立過程がわかり、早良王国の存在も確認されるのです。この吉武遺跡群の夫々の遺跡は、
弥生時代を考えるとき、重要な意味をもつ貴重な遺跡なのです。一日も早く王墓と神殿の
複元が実現するように、全面整備の気運を高めるために、平群倶楽部は一丸となった運動
を展開しています。
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# by Fukuoka-heguri | 2013-03-10 14:02 | その他

2013年2月度史跡巡り

[史跡巡り]2013/2月度 
平成25年2月19日(火)糸島の古墳や神社、博物館などを見て廻りました。

午前 釜塚古墳・一貴山銚子塚古墳・曲り田遺跡・鎮懐石八幡宮・塚田南遺跡
昼食 伊都安蔵里(いとあぐり) 安蔵里健康御膳 安蔵里豚汁御膳
午後 糸島市鎮座宇美八幡宮・糸島高校博物館・新町遺跡展示館・志摩歴史資料館
鎮懐石八幡宮では空閑(くが)宮司 宇美八幡宮では武内宮司のお話を聞きました。
新町遺跡展示館と志摩歴史資料館では伊都国歴史博物館のボランティアの人に案内して
もらいました。

釜塚古墳
直径56m、高さ約10mの大型の円墳で、幅約8mの周溝が巡らされていたそうです。石室は「竪穴系横口式石室」と呼ばれる初期の横穴式石室の形態で、5世紀初頭の築造といわれています。
生憎の残念な雨です、でもしかたない。
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周溝からは石見型木製品(いわみがた)が出土したそうです。 
石見型木製品とは奈良県の石見遺跡で出土した石見型盾形埴輪(いわみがたたてがたはにわ)とよばれる埴輪とよく似た形の木製品という意味だそうです。名前の付け方がいい加減な気がします。
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古墳のてっぺんまで登山しました。
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一貴山銚子塚古墳
全長103mの糸島地域最大の前方後円墳です。竪穴式石室からは、鏡10面他、鉄製素環頭太刀、鉄刀、鉄剣、鉄槍、硬玉製勾玉、碧玉製管玉等が多数出土しています。
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鏡は舶載鏡(中国製)が2面、そのうちの1面は鍍金(金メッキ)製の方格規矩四神鏡で、鍍金鏡は全国で3例しかない珍しいものです。もう一面は内行花文鏡で、仿製鏡(日本製)の8面はあの有名な三角縁神獣鏡です。調査を指揮した京都大学の小林行雄教授が後に発表する「同笵鏡論」の礎となったのが、この古墳なのだそうです。
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曲り田遺跡
稲作の始まりを裏付ける土器や石器、竪穴住居、支石墓、甕棺墓などが発掘され、稲作開始時期を知る貴重な手がかりとなった集落遺跡です。
縄文晩期末の土器とともに小さな鉄片も出土し、いつからが弥生時代かという時代区分論争を引き起こしました。また、塚田南遺跡の「深江駅家」が9世紀初頭にはこの地に移転したのだろうと考えられる、道路状遺構や建物跡も確認されているそうです。
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鎮懐石八幡宮
神功皇后伝説で有名な神社です。ここには九州最古の万葉歌碑があります。
安政六年(1859年)に建てられたもので、筑前の守山上憶良の作です。この長歌によって塚田南遺跡が深江駅家の跡であると確認されたのだそうです。
万葉歌碑の前で勢ぞろいで宮司さんの話に聞き入りました。この碑の書は豊前中津藩の人で、この地は長い間中津藩の飛び領でした。
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宮司の空閑(くが)さんです。
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昭和11年遷座の拝殿の床板は85センチを超える幅があり、当時はこの周辺に松の巨木が多かったことを物語るのだそうです。
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塚田南遺跡(深江駅家ふかえのうまや跡)
古代の交通、通信制度として7世紀後半には「駅伝制」が確立していたようです。
古代幹線道路は現在の高速道路のように一直線に作られていて、三十里(約十六㎞)ごとに駅馬を配置した駅家が置かれていました。この道を国司の許可を得た特別な役人が駅鈴を鳴らしながら馬を走らせていたのです。この遺跡からは、道路跡と大型の建物跡が発見されています。
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糸島市鎮座宇美八幡宮
縁起によれば、気比大神が神功皇后三韓渡航の折、船上に現われて援助をされた。皇后は三韓より帰朝され、仁徳天皇の治世十年に、平群木菟宿祢の子博公を神主として此の霊蹟に神社を建て気比大神を祀らせた。是が本宮の縁起である。
上宮は長嶽山南方に鎮座する丸型山稜で頂上に石祠がある。祭神は仲哀天皇である。神功皇后の摂政元年、武内宿禰に命じ、香椎に在るところの先帝のお棺を当山に収めて、築陵したとある。皇后の三韓御渡航の折の御殯斂(ひんれん)の地か、とありました。
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日本書紀の応神即位前記に応神天皇は「筑紫の蚊田に生まれませり」とあり、その地は
筑前國怡土郡長野村蚊田、現在の糸島市前原長野のことであるという説があります。
もしこれに従えば神功皇后はこの糸島の地で応神天皇をお産みになられたことになります。
以前、糟屋郡の宇美八幡宮とここ糸島の宇美八幡宮とは本家争いを行ったようですが、
そのことは縁起書にはありません。一説によれば戦前に、本家争いの裁判があって、糟屋郡の宇美八幡宮が勝った。そしてその時、ここ糸島の宇美八幡から貴重な歴史資料が某有名大学等に移され、その後詳細が不明になってしまったという事だそうですが、宮司さんはそのことについては、あまり詳しくは語られませんでした。
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狛犬に睨まれました。
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武内宮司は武内宿禰から数えて八十二代目にあたられるそうです。
宮司は三台の神輿が坂道を、氏子をお供に下る「秋季大祭」のことを話されました。
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武内宮司の話で一番驚いたのは、この宇美八幡宮の上宮と本宮のある長嶽山は、自然の山では無くて、人工的に赤土を盛って作られた山、つまり古墳であろうと思われるという話でした。この巨大古墳の被葬者はいったい誰なのでしょうか。
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県立糸島高校郷土博物館
県立の高等学校の中にある珍しい博物館です。縄文時代から弥生時代、古墳時代のいろいろな出土品、それから瓦経や経筒、そして江戸時代の人相覚まで、その展示物は見事なものでした。この学校の歴史部の生徒は、卒業生である原田大六さん達の協力で、発掘作業と整理、複元作業を行ったのだそうです。素晴らしい学校です。
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福岡県指定文化財の舟形石棺(長須隈古墳)
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新町遺跡展示館
昭和57年度の第一次調査で57基の支石墓を主体とする墓域が発見され、弥生時代開始期の埋葬人骨が出土したことで有名な遺跡です。人骨は低顔・低身長で抜歯もしていました。
弥生時代の墓の中からでてきたのは縄文人の骨でした。さてどういうことなのでしょう。
  下見の時の写真です。この日は晴れでした。
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磨製石器が刺さった状態で埋葬された男性人骨も発見されています。日本最古の戦死者だそうです。
模型はこれから行く志摩歴史資料館にあるそうです。
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 伊都歴史博物館のボランティアの人に案内してもらいました。
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隣接する御床松原遺跡は大正六年九州大学の中山平次郎博士の「貨泉」の発見で、弥生時代の年代の決め手となったことで有名なのですが、今はなにもありません。
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志摩歴史資料館

最後に志摩歴史資料館へ行きました。ここも伊都歴史資料館のボランティアの人が案内してくれました。説明が上手で、それも勉強になりました。
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竪穴式住居は冬暖かく夏涼しく、縄文時代から鎌倉時代まで続くそうです。
新町遺跡の「貨泉」が展示してありました。新町遺跡の支石墓から出土した縄文人の骨もありました。最古の戦死者です。古代の製鉄施設の模型もありました。
紙に記された最古の戸籍がありました。戸籍は6年に一度作成され、不要となった貴重な紙は、裏紙を利用するため払下げになったのだそうで、実物は正倉院に伝来したものだそうです。大宝2年(702)の筑前国嶋郡川辺里の戸籍の断簡で、筑前国嶋郡川辺里は、今の福岡県糸島市志摩町のあたりと考えられ、つまりこの歴史資料館のすぐ近くなのです。
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今日の予定は無事終了しました。
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# by Fukuoka-heguri | 2013-02-19 17:51 | 史跡巡り